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都市計画道路・高速鉄道スレッド

1540とはずがたり:2009/10/11(日) 01:16:37
>>1536-1540

こういう経緯があったのか。。>尾根幹線

40歳のニュータウン 開発の陰で
(5)巨大“分離帯”放置続く(2007/02/20)
整備先送り、利用法妙案なく
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/098/5.htm

 幅50メートル近くのススキの原の帯。それが5キロ・メートル以上も続く。両端には、1車線ずつの側道が通っている。ススキの帯は、巨大な“中央分離帯”のようだ。多摩ニュータウンの南沿いを走る都道「尾根幹線」。この“分離帯”は、手つかずのまま放置されてきた。
      ◇
 当初計画は、片側4車線ずつの計8車線道路。分離帯部分は本線のはずだった。ここが、「計画と整備実態が最もかけ離れた道路」(都道路建設部計画課)だ。

 都は昨年、事業費などの問題から、この尾根幹線について「今後10年、事業着手はしない」とする方針を示し、道路整備を先送りにした。そして、都は地元自治体に対し、「10年間の有効利用法」を募り始めた。

 都によると、当初計画の道路整備費は約1200億円。現在の都市再生機構が整備を担当したが、ニュータウン開発終了に伴い、2004年に都へ事業が移管された。

 ニュータウンを東西に貫く大幹線道路。都は「当初はバラ色の計画だった」とする。しかし、明星大の西浦定継教授(都市計画)は「8車線道路なら他県ともつながる広域道路のはずだが、他県では全く計画決定していない」と指摘し、「ずさんの一言」と手厳しい。

 一方、「10年間だけ利用してよい」との条件で、都からボールを投げられた地元自治体も困惑気味だ。多摩市は「10年たって都に返還しなければならないのなら、利用案は限られる」と嘆く。駐車場などしかアイデアが思い浮かばないのが実情だ。
      ◇
 道路整備や跡地利用が進まない背景に、“過去”が影を落としている側面は否めない。

 尾根幹線の着工をめぐって、住民の激しい反対運動が繰り広げられた。計画が浮上した段階から、ニュータウンの初期入居地区の住民らが「騒音や大気汚染がひどくなる」として反発したのだ。

 とりあえず側道が建設されることになったが、1979年には、住民が約40日間にわたって、側道着工阻止のための座り込みという強硬手段に出た。座り込みには、多い日には500人以上が参加したという。住民と工事関係者の小競り合いによって、けが人も出た。

 反対運動のリーダーの一人だった女性(68)は「以後、住宅は幹線道路から50メートル以上も離れて建てられた」と、運動の成果に胸を張る。騒音や排ガスへの認識を高め、開発に一石を投じたとする。女性は今も「本線整備には反対」。しかし、“分離帯”利用の妙案はないという。

 機構は91年、土地を掘り返した半地下道路などにして騒音を減らす計画に変更したが、具体的な動きにはならなかった。
      ◇
 多摩地区全体では、道路計画に対し実際に開通した整備率は、現在でも51%にとどまっているが、多摩市内に限ると78%と跳ね上がる。ニュータウン地区が市内の面積の半分以上を占める同市だけに、ニュータウン開発によって道路整備が一気に進んだことが裏付けられる。そんな中にあって、未開発のまま放置されている尾根幹線の異様さは際立っている。
 (おわり)
 (この連載は、畑武尊、山岸肇が担当しました)

 ■尾根幹線■ 正式名は「南多摩尾根幹線道路」。1969年に都市計画決定された。稲城市の多摩川原橋を起点とし、町田市の町田街道までの総延長は17キロ・メートルで、多摩ニュータウンを東西に結ぶ。最大幅員は58メートルに及ぶ。


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