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都市計画道路・高速鉄道スレッド
1464
:
荷主研究者
:2009/03/25(水) 00:26:57
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008120802000048.html
2008年12月8日 中日新聞
池下駅地下に謎の空間
現在の地下鉄東山線(右)と平行して車庫跡に向かって残る引き込み線=名古屋市千種区の池下駅地下で
市営地下鉄東山線で出勤していてずっと気になっていた。高畑行きの列車が池下駅を出た後、右側の窓の外に広がる暗がり。線路もほの見える。一瞬だけ姿を現すあの空間は何なのだろう。秘密の行き先や秘められた物語があったりはしないか…。
地下鉄関連の本で、池下駅についての記述を調べた。1960年、東山線が池下駅まで延伸した時に「池下車庫」を設けたとの記述が見つかった。これは手がかりになるかも、と勇躍して、かつて同車庫で働いていた大須賀広郷さん(64)、上床清さん(72)を相次いで訪ねた。
ナゾの線路の存在を説明すると「引き込み線だよ」と大須賀さん。終点の池下駅に着いた電車はこの線路を通って車庫に向かったという。上床さんによると、この車庫には車輪の手入れに使う転削機も備わっていた。当時、全国に数台しかなかったらしい。しかし、そんな最新鋭の車庫にも弱点があった。
「雪の日や、故障して戻ってきた電車を地上に出すのは大変だったよ」と大須賀さんは遠い目をした。地上の狭い車庫に車両を出すため、引き込み線はかなりの急坂。雪の日は滑り、また故障して性能が落ちた電車は坂を上りきれず、他の電車で押したり引っ張ったりして何とか運んだことも。
一緒に往事を想像していると、大須賀さんがさらに気になる一言。
「ここは建物が特徴的でね」
1961年当時の池下駅周辺。手前の駅舎の奥に広がるのが「池下車庫」
車庫建設の際に愛知淑徳高校の敷地を買収し、一方、同校は手狭だったこの地から現在の千種区桜が丘へ移転した。大須賀さんが「車庫の事務所と教習所は高校時代の建物をそのまま利用していたんだよ」と言えば、上床さんも「頑丈なコンクリートの建物だった」とうなずいた。
地下鉄で星ケ丘駅に近い愛知淑徳学園へ向かう。同校の100年史でも2人の話が確認できた。元校長の富永伸さん(83)が「大切に使ってもらえたようで何より」と話す。再利用されたのは講堂と東校舎で、特に前者は「母校に講堂を」という生徒や父母からの募金で建てたものだった。市に土地を売却する際、「できれば解体ではなく有効活用を」と要望していたそうだ。
車庫は69年の藤が丘移転で廃止となり、跡には今年10月に閉館した旧愛知厚生年金会館が建った。
今回、市交通局の許可を得て地下に入らせてもらった。気になっていた引き込み線の線路は同会館敷地との境に当たる地下部分で切れ、暗闇には線路保守用の機材がひっそりと置かれていた。
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