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都市計画道路・高速鉄道スレッド
1237
:
とはずがたり
:2008/09/30(火) 15:29:21
そんな遠大なプランがあったなんて(;´Д`)
若宮大通の中途半端さは予備校の頃から気にはなっておったわい。
>加えて都市計画上の理由も。当時、若宮大通の東の終点を東山キャンパスに接続しようとの思惑もあり、あえて西側に正門を作らず、幅100メートルもある緑地帯を設けたのではないかという。
名大に正門なぜない? 戦争挟み計画から消滅
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080929/CK2008092902000040.html
2008年9月29日
大きな案内板が立つ名古屋大学東山キャンパス。奥に見えるのが「門」の文字をデザインした豊田講堂で、正門のない名大で門の印象を与えている=名古屋市千種区で
名古屋大出身の同期記者が不思議がっていた話。「名大の東山キャンパスって、なぜか正門がないんだよね」。正門といえば、東大の安田講堂のように大学を象徴する建物を望む場所にあったり、入学生や卒業生が記念撮影したり、まさに大学の“顔”のはず。それがないとは、どうして−。
「学内に通用門はいくつもありますが、明確な正門は、ないですね」。大学広報室の職員はあっさり。ただ、理由については「はっきりとは分からないですが、地形的な影響もあるのでは…」と首をひねった。
丘陵に広がる東山キャンパスは東西1・5キロ、南北1キロの横長の敷地。そのほぼ真ん中を幹線道路が南北に走り、キャンパスを東西に分断している。確かに正門をどこに置くか悩ましい。地図を見ながら思いあぐねていると、広報室から連絡があった。「大学文書資料室に、かつての正門計画案があるそうです」
資料室の堀田慎一郎さんが見せてくれたのは、創設期の東山キャンパスについて記した論文。名古屋大は、1939(昭和14)年に名古屋帝国大学として設立され、間もなく東山キャンパスの整備が持ち上がった。論文は当時の資料をふまえ、整備計画について調べている。
42年の計画案では、敷地を東西に抜ける幅30メートルほどの「中央街路」を設定。西地区で緩やかにカーブしてロータリーのような場所につながり、敷地西端には正門が置かれている。
中央街路そのものは現在、東地区の豊田講堂から西地区の図書館前まで続く緑地帯とそっくり。では、どうして計画にあった正門が消えたのか。論文を書いた鹿児島大大学院准教授の木方十根(じゅんね)さんに聞いてみた。
木方さんによると、東山キャンパスの整備は戦災復興に併せ、計画が練り直された。54年の設計図には正門の姿はなかったという。「森に面した西側に正門を作っても、幹線道路沿いに比べ、利用されないと思ったのでしょう」と指摘する。
加えて都市計画上の理由も。当時、若宮大通の東の終点を東山キャンパスに接続しようとの思惑もあり、あえて西側に正門を作らず、幅100メートルもある緑地帯を設けたのではないかという。「今から考えると、ミステリーのような壮大な話ですが」と木方さんは笑う。
正門がない理由は浮かんだが、資料室の堀田さんから、興味深い別の門の話を聞けた。緑地帯の東端にある豊田講堂は建築家槙文彦さんが「門」をデザインしたというのだ。「講堂前で合格発表や記念撮影したりして、今では正門のような存在ですよ」と堀田さん。名大に正門がない理由が、ここにも一つありそうだ。 (社会部・加藤弘二)
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