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忘備録スレ
122
:
とはずがたり
:2004/03/27(土) 10:07
http://chiba.cool.ne.jp/wildgeese/ooshi.html
太子駅跡(旧長野原線)
上野から草津、万座へと走る吾妻(あがつま)線。
かつては貨物専用線として誕生した。。
昭和20年(1945)1月2日に開通し、その頃は長野原線と呼ばれた。
同8月1日に旅客営業を開始し、
さらに昭和27年(1952)10月、長野原草津口から北上し、太子(おおし)まで開通した。
このあたりは六合村(くにむら)と呼ばれ、
その山奥には、鉄を産出した元山鉱山(日本鋼管)がかつて存在した。
現在、鉱山の施設は取り壊され保養所が新築されている。
当時の面影は何も発見できない。
太子駅の当時を知る人と話をする機会を得たが、
駅の回りは市場が立って、それは賑やかだったそうである。
現在は静かな住宅街の中の公園になっている。
太子駅は日本鋼管の鉱石積出施設であった。
ここより鉄鉱石の原石を積替えて川崎や鶴見にまで運んだのである。
しかし、昭和45年(1970)ホッパー運転休止、
昭和46年(1971)には、長野原草津口〜太子間が廃線となった。
その時に吾妻線と名前を変え、大前まで延長され、現在に至っている。
この公園もあまり人が訪れない場所のようであり、
元線路があったと思われる天井も崩れ落ち、
かなり危険な状態と思われる。。
地元でも保存を考えているようであるが
風化が進むのが早いようだ。
下の写真は、鉄鉱石を貨車に積んだホッパー跡の内部である。
緑の木漏れ日が物悲しくも美しい。
太子より長野原草津口方面に線路跡を進むと、トンネルが続く。
列車はもう走らないが、今なお人や車が通る生活道なのである。
トンネル脇に愛宕遂道のペイントがあった。
この目印のトンネルを過ぎたら、列車はまもなく太子駅に到着である。
運転手も車掌も、それを見ながらほっと安堵の息を下ろしたことであろう。
そんなことを考えた。
そんな歴史ある吾妻線も平成18年(2006)に一部コースが変更になるらしい。
なんと、八ツ場(やんば)ダムの建設により水没するのである。
このあたりに川原湯温泉という温泉地があるのだが、
ここも一緒に水の底である。
ここを訪れると「歓迎ようこそダムに沈む川原湯温泉へ」の看板を見ることができる。(笑)
まったくスケールの大きい話ではあるが、
ここに何のためダムを建設するのだろうか?電力?治水?
公共事業見直しの風潮のこのご時世、
無駄な計画でなければよいのだが。
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