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政権交替を検討するスレ

1305名無しさん:2009/09/15(火) 19:22:20
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000760909150001

政権交代@北海道
【首相誕生】
(中)我慢の末の20万票
2009年09月15日
細川護熙首相(中央)の退陣を前に武村正義官房長官(右)とともに歓談する鳩山氏。官房副長官だった=94年4月15日、首相官邸


輪西商店街では就任に向け、鳩山総理誕生を祝うポスターが配られた=室蘭市、吉本美奈子撮影
■変転23年、変革支えた地元
 20万1461票。総選挙の9区で民主党代表・鳩山由紀夫が獲得した票だ。96年に小選挙区比例代表並立制となって以来、全国で初めて20万票を超え、05年の郵政総選挙で当時の首相・小泉純一郎(神奈川11区)が得た19万7037票の記録を塗り替えた。実に有効投票の66%、有権者の半数の支持を得て政権交代を象徴する得票となった。
 何がこんな大量得票を呼んだのか。朝日新聞社の出口調査で、その一端がうかがえる。無党派層の4分の3が鳩山に投票した上、自民支持層でも自民党候補の45%を上回る48%が鳩山に投じた。
 当の鳩山陣営も驚いた。「相手は知名度が低い。18万票台はあり得る」とみてはいたが、それをも上回ったからだ。選対本部長代行だった道議・滝口信喜は「自公政権への批判に、地元から首相誕生という期待も加わった相乗効果」と分析する。
     □
 これまで鳩山には、それほど選挙で強くはないという評がついて回った。その一因は政党遍歴にある。
 93年、政治改革を唱えて自民党を離党し、新党さきがけ結成に参加。96年には「政官業の甘えの構造を行政改革で断ち切らねばならない」と旧民主党をつくった。そのたびに支援者が離れた。
 自民離党当時を知る後援会幹部は「選挙中なのに事務所は閑散。チラシを配る者もいなかった」と振り返る。
 旧民主党を立ち上げた時はもっとひどかった。別の幹部は「役員の3分の1ぐらいが去った」と明かす。「明らかに反自民となったから辞めるのは仕方ない。もともと自民が強い所だから仕事がやりにくくなる人が多いのも分かる。でも、それで少数精鋭が残った。一苦労しないと役員も本物にならない」
 最大の危機は党代表として臨んだ00年総選挙だ。苫小牧を地盤とする自民新顔の岩倉博文(現・苫小牧市長)に2525票差まで追いつめられた。鳩山は利益誘導を否定する公共事業見直し論者で、折あしく選挙直前の3月に有珠山が噴火。被災地対策が急務となる中で岩倉陣営に「公共事業が要らないという人がいる」と揺さぶられ、24市町村のうち19市町村で負けた。
 だが、政治を変えようという鳩山の姿勢を評価する有権者も実は少なくなかった。朝日新聞社の出口調査では、鳩山に投じた自民支持層は最大危機の00年でも16%、03年は22%、小泉劇場となった05年でさえ18%いた。無党派層の支持はいずれも50%台だ。票はほぼ毎回、増え続けてきた。
 政治家・鳩山の23年は右肩上がりの経済成長が終わり、55年体制が行き詰まった時代に重なる。地元・室蘭も経済停滞が著しい。変革を望む市民の深層心理に鳩山の主張は合致していたのだろう。
 そして今回の総選挙だ。「公共事業を鳩山さんに期待しても無駄」(洞爺湖町の79歳男性)という見方が定着したところへ、政権交代が現実味を帯びた。それが小選挙区5回目の戦いにして初めて、全18市町で得票1位という完全勝利につながった。
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