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政権交替を検討するスレ
1303
:
名無しさん
:2009/09/15(火) 19:19:27
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090915ddm002010036000c.html
ドキュメント・政権交代:「また小沢にやられた」 自民終章−つるべ落としの秋日
「ぜひ頑張ってほしい。日本の針路を間違えないでほしい」。14日午後2時、国会2階の院内大臣室に民主党の鳩山由紀夫代表を迎えた麻生太郎首相は、激励を交えながら引き継ぎのことばに自分の思いをこう託した。
約20分の会談では北朝鮮問題など実務的な課題にも及んだ。「(核・ミサイル・拉致の包括的解決を盛り込んだ)日朝平壌宣言はまだ生きていますか」と尋ねる鳩山氏に、「そうだ。生きている」と応じる場面もあった。
鳩山氏は非自民・細川内閣(93〜94年)で政権中枢の官房副長官を務めたが、96年の民主党結成後は野党暮らし。同席した河村建夫官房長官は「しっかり頼むよという気持ちがあふれていた」と麻生氏の心情を代弁した。
自民党からの政権交代に伴う引き継ぎは、93年にも事後的に行われたが、当時の宮沢喜一首相は記者団に「(細川護熙氏には)国の将来を誤らないようにお願いしたい」と述べ、同じ表現で申し送りしていた。
当時、自民党下野の引き金を引いたのはやはり鳩山氏や小沢一郎氏だった。政治改革を断行し政権交代を実現するため自民党を割った。麻生氏は野党自民党の河野洋平総裁側近として94年の政権奪還を助けたが、15年後、2大政党化につながる小選挙区制導入をけん引した小沢氏らが持論を実らせ、自民党は再び煮え湯を飲まされた。ある閣僚経験者は「小沢氏にまたやられた」と恨みを募らせる。
歴史的惨敗を喫した衆院選後、麻生氏の求心力は跡形もなく消え、首相官邸への来客はめっきり減った。連日定例化していた記者団との質疑応答もこの2週間でわずか4回と、露出度も急落した。
9日には警視庁神田運転免許更新センターで運転免許証を更新。11日夜には、1月から住んでいた首相公邸を引き払い、東京都渋谷区の私邸に戻った。周辺からは「手持ちぶさた」との声も漏れる。
14日、視察した特許庁で電子ペーパーに描かれた趣味の漫画に「ほう。鮮明だな」と感想を漏らしたが、記者団から鳩山氏との会談を問われると「個別の会談の内容を外にしゃべったことは一回もない」と、ぶぜんとした。
16日、かつて同じ派閥だった宮沢氏の軌跡をたどるように自民党政治の幕を閉じる。
◇民主序章−副大臣巡りさや当て
15日の民主党両院議員総会を前に14日夕、鳩山由紀夫代表は小沢一郎次期幹事長と会談。時間は10分余。鳩山氏は「言ったら閣僚の人事構想が事前に漏れてしまう。まだ秘密」と記者団に語り、余裕を見せた。
閣僚人事はほぼ固まったことを示唆したが、今度は副大臣・政務官人事をめぐるさや当てが激しさを増す。
14日、国民新党から入閣が決まっている亀井静香代表を「防衛相」、社民党の福島瑞穂党首を少子化などの「担当相」にあてるとの情報が永田町に駆けめぐった。これにかみついたのが社民党の重野安正幹事長だった。
「防衛相は副大臣や政務官がつくが、こちらにはないのか」。民主党の平野博文次期官房長官に電話で注文を付けた。担当相は明確な副大臣ポストがなく、副大臣とのセットで入閣したい社民党を困惑させたからだ。
民主党は当初、各閣僚が副大臣、政務官を任命し、政務三役で一体のチームを形成する構想を描いていた。しかし、閣僚が個別に副大臣や政務官を人選すれば閣僚間で争奪戦が始まり、混乱が生じるのは必至だ。
民主党内でも「参院から副大臣や政務官は何人、誰を欲しいのか。こちらが先に決められない」(輿石東参院議員会長)との不満も漏れ、ベテラン議員も「総合調整が必要だ」と指摘する。ある幹部は14日、「(組閣日の)16日までに副大臣、政務官とも決めなきゃだめだ」と述べ、鳩山氏の指導力と調整力に期待を示した。
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