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政権交替を検討するスレ

1108名無しさん:2009/08/20(木) 23:46:57
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090820/elc0908202317027-n1.htm

【09衆院選】証言・政権交代(1)「変化には必然性がある」村山富市元首相(85) (1/5ページ)
2009.8.20 23:15

村山富市元首相(河居貴司撮影) 「政権が変わっても、政治は急に変わるものではない。すぐ変えられるものもあるが、行政や外交などでは継続性が大事な仕事も多い。政治を変えるのには、時間がかかるもんじゃ」。地元の大分で、引退生活を送る村山富市元首相(85)はこう述べ、急激な変化を求める声に警鐘を鳴らした。非自民連立の細川政権の誕生や、長年の対立関係だった自民党と組んで自らが首相に就任した村山政権で政権交代の現場を目の当たりにした。 

 「あのころまでは自民党と社会党が一緒に政権をつくるとは考えもしなかったし、総理になると思ったこともなかった。ただ、政権が変わる背景には必然性がある」と断言した。

 《平成6年6月、少数与党となり総辞職した羽田孜内閣の後を受け、下野(げや)していた自民党は、村山氏が委員長を務める旧社会党、新党さきがけと連立を組み、村山内閣が成立した》

 「当時は絶対多数をとる政党がなく、政治的バランスのなかで連立政権が生まれた。今回、政権交代があるのなら、選挙で変わることになる。そこは意味合いが大きく違う」という。

 当時、自民党は衆院の第一党で社会党は第二党だった。「憲政の常道からすると、多数政党のトップが首相になるべきで、それに沿わない自分の政権は過渡的で長くはないと思っていた」と振り返る。

 だが、内閣には、その内閣にしかできない使命があるという。

 「村山内閣の場合は戦後50年という節目の年にあって歴史にけじめをつけることが使命と思っていた。批判も承知しているが、『村山談話』をはじめ、村山内閣でなければできなかったことをしたという思いはある」と強調する。

 《村山談話は7年8月15日、戦後50周年記念式典で、閣議決定に基づいて発表された。戦中に日本が植民地支配したとして公式に謝罪した声明で、その後の政権にも継承されている》

 政権交代で重要なことは、「何が変わったのかを明確にすること」というのが持論。「民主党は体質的には(自民党と同じ)保守政党だと思っている。民主党政権になっても、結果的に自民党と同じことをやれば、政権交代の意味はない」

 当時と現在で自民党に変化はあるのか。「自民党はあまりにもお粗末。困難な状況なのに互いを信頼せず、けなしあっている。連立を組んだころとは随分違う。あのとき社会党のトップを首相にかつぐことは、自民党内部でも相当の抵抗があったはずだが、それでも結束した。民主党は寄せ集めの政党だが、政権を取るという課題でまとまっている。これが決定的な違いだ」と分析した。

 今回の選挙で二大政党への動きが加速するという見方について、「世間の価値観が多様化するなか、政党が2つだけでは無理がある。複数の政党があり、そのうちのいくつかが与党として連立政権を組むのがベターな政治体制ではないか」としたうえで、「連立政権は物事を提案する段階できちんと議論をしなくてはならない。数の力だけでない攻防がある。そこで議論を尽くし、国会でも与野党の議論をすることによって、国民の幅広い価値観を政治に反映できるのではないか」と提言した。

     ◇

 今回の衆院選のキーワード「政権交代」。平成5年、非自民・非共産連立政権が誕生。日本新党(当時)の細川護煕氏が首相となり政権が変わった。その後の村山内閣では自民党が与党に復帰した。当時の政権交代の現場を“目撃”したキーマンの証言から、政権交代とは何か、その実態を浮き彫りにするとともに課題を探る。

     ◇

 むらやま・とみいち 大分市議、大分県議などを経て衆院議員に当選8回。日本社会党の国会対策委員長などを務めた後、平成5年から党委員長。社民党初代党首。自社さ政権のもとで6年6月から8年1月まで第81代内閣総理大臣を務めた。12年に政界を引退。


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