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選挙・議員関連情報スレ
429
:
■とはずがたり
:2003/03/03(月) 23:34
ゼネコン汚職で服役した本間知事と線香配布で議員辞職した小野寺氏の取り合わせハケーン
http://www.mskj.or.jp/profile/onodera.html
頑張る首長 「宮城県知事 本間 俊太郎 52歳」
バッハの町から来て東北学でクニづくり
小野寺 五典/松下政経塾第11期生
本間宮城県知事はジャーナリスト、「町を経営」した経験を持つアイデア豊かな実践哲学者。
「人間はもともとダブルポリシーをもっている。故郷は憎しみの対象でもあれば、愛情の対象でもある。だから、ふるさとづくりというのは、もともとアンビバレントな(互いに矛盾する二つの気持 ちを含む)感情を秘めている。人によって、職業によって、場所によって、開発志向型になってみたり、自然保護主義者になってみたりする。自分で、こうした2つの方向、場所によって矛盾する問題を抱えていることが自覚されれ ば、考え方のレベルも高くなると思う」。
■東北のアイデンティティ
人口1.5万の中新田町の町長から県知事に。本間俊太郎宮城県知事(52)は町長としての経営手腕を買われ、知事になった異例の自治体経営者である。
今、知事の頭にあるのは、世界の「東北」をつくろうという「伊達なクニづくり」構想である。…構想には、3本の柱がある。文化圏の形成、交流の拡大、産業の振興である。
「文化圏の形成」では、特に、「東北学おこし」にちからを注いでいる。…東北は縄文文化のふるさとである。…旧石器時代の宮城。宇宙を一つの命として捉え、優しさと激しさをもった芸術性の高い、自然と一体になった暮らしと文化が東北にはあったという。こうしたおおらかで、激しい風土は吉野作造、本多光太郎、土井晩翠、志賀直哉などの文化人を生んだ。東北学は、ともすれば辺境の地と見られがちな東北に現代社会で失われたものを発見する試みでり,それが、これからの東北のイメージをつくり、東北が進むべき道を示すものだと知事は考えている。
…
■新聞記者から34歳で町長に
本間知事は昭和15年、代議士本間俊一の長男として中新田町に生まれた。父は彼が大学1年のとき急逝した。 あとに残された兄弟の面倒をみたのは気丈な母であった。母は薬局を開業し、兄弟を大学まで卒業させた。大学 卒業後、本間は読売新聞社に記者として勤務。ところが昭和49年9月、彼の運命を大きく変える出来事がおこった。当時の中新田町長が急逝し、その後継にと白羽の矢が彼にたったのである。本間は34歳の若さで当選した。
ところが、町長になってみて予想以上の厳しい現実が待っていた。行政組織の硬直化、予算の7割を占める人 件費、しかも町職員の半数以上は彼より年長である。そんな中で、彼は昭和52年、「中新田クローバープラン」という4つの柱からなる西暦2000年を見越した超長期計画をたてた。30代の青年町長にしてなせる長期計画である。
本間俊太郎の名を全国的に有名にしたのは通称「バッハホール」である。町長時代の昭和56年1月に完成した 中新田町民文化会館のことである。バッハホールは日本屈指の音響効果をもつクラッシク音楽専用ホールであ る。人口1万5千人の東北の町で、しかも田んぼの真ん中に出現したこのホールに全国から驚きと注目が集まった。費用削減のため概観はコンクリート打ちっぱなしではあるが、音響を追求した室内は世界の著名な音楽家た ちから絶賛を浴びた。
■一流の知恵を導入しなければ
彼は常に先頭に立って仕事を引っ張ってきた。町長時代には誰彼なく職員を自宅に誘い、酒を飲み、夜通しで 町の将来について語り明かした。そんな中から多くのアイデアが生まれた。実践する活力が生まれた。
本間知事は人材開発の名手でもある。本間知事が早稲田大学からスカウトし、まちづくりを担当させた後藤春彦氏は実績を認められ、現在は三重大学の助教授をしている。
彼が知事に当選したとき、与野党が揃って彼を押した。彼が「県民党」と呼ばれるゆえんである。県民皆が彼の中新田で見せた経営力に期待したのである。
県民のなかには知事への期待とともに不安も確かにある。「文化行政に片寄り過ぎ」や「町と違い県という規模ではアイデアだけではね」など手厳しい声もある。
世界に開けた宮城県をめざす本間丸が船出して3年、来年3月には県民の審判を仰ぐ知事選も控えている。いま、「バッハの町から来た」彼の舵取りがおもしろい。
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