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選挙・議員関連情報スレ

4147さきたま:2018/10/08(月) 14:10:54
>>4144
井出正一先生は、私が最も敬愛する政治家でした。
新党さきがけを終の棲家とし潔く政界を退いた、その筋を通した政治姿勢は、
まさに、さきがけの魂というものを体現された方だと思います。


井出正一氏死去 衆院旧2区 元厚相
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180903/KT180902ATI090002000.php
 
 自民党、社会党(現社民党)、新党さきがけによる連立政権の村山富市内閣で厚相を務めた元衆院議員の井出正一(いで・しょういち)氏が2日午前6時56分、慢性呼吸不全のため佐久市の県厚生連佐久総合病院佐久医療センターで死去した。79歳。南佐久郡臼田町(現佐久市臼田)出身。自宅は佐久市臼田620の2。葬儀・告別式は17日午後1時から佐久市中込2941の佐久市営武道館で。葬儀委員長は柳田清二佐久市長。喪主は長男太(ふとし)氏と次男平(たいら)氏。

 元官房長官で衆院議員(旧長野2区)の故井出一太郎氏の長男として生まれ、慶応大大学院を修了。家業の橘倉(きつくら)酒造を経営していた1986(昭和61)年、一太郎氏の引退を受け衆院選旧長野2区から出馬し初当選。連続3期務めた。当初は自民党に所属したが、93年、武村正義氏や田中秀征氏(衆院旧長野1区)らと自民を離党して新党さきがけを結党した。

 自民時代に経済企画政務次官、非自民連立政権の細川護熙内閣で統一会派「さきがけ日本新党」の政策幹事を務めた。94年6月〜95年8月に厚相に就き、被爆者援護法制定や年金法改正、阪神大震災の被災地復興、高齢者保健福祉サービスの達成目標を定めた新ゴールドプランの推進などに尽力した。

 96年、新党さきがけ分裂などの責任を取って辞任した武村氏の後任として党代表に就任。同年、小選挙区比例代表並立制が導入された衆院選に長野3区から出馬したが落選し、代表を辞任した。98年参院選比例代表に出馬したが落選。同年10月のさきがけ解党を機に、政界を引退した。

 若い頃から中国語に親しみ、日中友好協会副会長や県日中友好協会長などを歴任。長野県酒類販売社長なども務めた。今年8月に体調を崩して入院していた。

 葬儀・告別式は井出家と橘倉酒造の合同葬として行う。

 作家の井出孫六氏は叔父、評論家の故丸岡秀子氏は伯母、衆院議員(長野3区)の井出庸生氏はおい。

(9月3日)


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