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選挙・議員関連情報スレ

3874名無しさん:2013/12/05(木) 14:24:01
図説 尼崎の歴史-現代編
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/05gendai/gendai3-c1.html
戦前来のライバル、阪本勝〔まさる〕と六島誠之助〔せいのすけ〕がふたたび戦った昭和26年(1951)の選挙、野草市政3期の後を三つどもえで争った平成2年(1990)選挙、予想を覆〔くつがえ〕して、女性としては全国最年少・尼崎初の女性市長が誕生した平成14年選挙……尼崎市長選挙においては過去幾度となく、歴史的な激戦が展開されてきました。下馬評をひっくり返す逆転勝利が目立つのも、尼崎市長選挙の特徴と言えるかもしれません。
 そんな尼崎市長選の歴史のなかでもっとも熾烈〔しれつ〕な戦いであったと言われるのが、昭和53年の野草・海江田〔かいえだ〕選挙です。関係者の証言などをもとに、この選挙の様子をふりかえってみることにしましょう。

ふたりの市長候補
 この選挙までの12年間、尼崎市は社会党員である篠田隆義〔しのだたかよし〕市長の革新市政下にありました。その篠田市長のもとで助役を務め、後継者として立候補したのが野草平十郎〔へいじゅうろう〕候補です。大正2年(1913)生まれでこのとき65歳。県立尼崎中学校を卒業して大庄〔おおしょう〕村役場に奉職し、合併した尼崎市の職員になったという、地元出身の叩き上げです。
 対する海江田鶴造〔つるぞう〕候補は野草氏より10歳若い大正12年生まれ。東大出で兵庫県警本部長、近畿管区警察局長などを歴任したエリート官僚でした。この海江田氏を強力に推したのが、同じ東大出で警察出身の坂井時忠兵庫県知事でした。保守県政のもと、県下第二の都市尼崎が革新自治体であるというのは、坂井知事にとってはどうしても容認できないことだったのです。
 ところで野草陣営の立場から、この選挙の内幕を赤裸々〔せきらら〕に綴〔つづ〕った1冊の本があります。『尼崎の春秋』と題されたその回想記の著者は池田徳誠〔とくせい〕氏。元県会議員で、市保守政界に隠然たる影響力を持った池田氏は、みずからが関わった政界の内幕を包み隠さず書き残したことでも知られています。『尼崎の春秋』(昭和63年)は野草・海江田選挙をはじめ、戦後の市長選挙裏面史を書き記した、たいへん興味深い著作です。同書によれば、坂井知事による海江田擁立の動きは篠田市長在職当時、早くも昭和50年頃からあったようです。
 篠田市長3期目の終わりに近い昭和52年になると、その動きは公然化します。しかし海江田氏はそれまで尼崎にゆかりのない、いわば県からの落下傘候補でした。そのため保守革新を問わず、尼崎の地元からは強い反発がありました。野草氏も、そういう感情を持ったひとりでした。


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