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選挙・議員関連情報スレ

3610名無しさん:2012/03/31(土) 22:56:26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120331-00000527-san-pol
「大勲位」元側近の“天国からの手紙”
産経新聞 3月31日(土)13時6分配信

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中曽根康弘元首相の元秘書、小林克己氏が友人や知人らに送った自身の「死亡通知」の写し(写真:産経新聞)
【高木桂一の『ここだけ』の話】

 今年1月中旬、永田町関係者らのもとに1通の手紙が届いた。「私 このほど死亡いたしました」…。中曽根康弘元首相を裏方で長年支えた元秘書の小林克己氏本人からの「死亡通知」だった。差し出し人はその1週間ほど前に82年の人生に幕を下し、人知れず旅立っていた。黄泉の下から「ありがた迷惑だ」とお叱りを受けるかもしれないが、ここでは自己流の最期を貫いた故人についてあえて触れてみたい。

 ■「どういうことだ?」とナベツネもビックリ

 突然届いた封書にペンで書かれた宛先の住所、氏名、裏面の「小林克己」という差し出し人名ともに、水茎の跡も麗しい小林氏自身の文字だった。それが実際には本人からの死亡通知だったら、受け取った人は誰もが驚くだろう。

 中曽根氏の秘書時代の同僚で、小林氏と50年来の親交があった与謝野馨元経済財政担当相も、その封書を開けてみて「えっ!」と絶句した1人だ。

 「どういうことだ?」。同じ日に手紙を受け取った渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長は与謝野氏に電話し、こう問いただした。「私も克己さんが亡くなったことは知らなかった。びっくりしています」。与謝野氏はそう答えるしかなかった。

 その手紙の文面は以下の通りだった(原文にはフリガナなし)。

 「諸先輩 友人 知己の皆様

 私 小林克己はこのほど死亡いたしました。謹んでお知らせし、あらためて、長きにわたって賜ったご厚誼(こうぎ)に対し、心から御礼を申しあげます。また、この間、心ならずとも皆様におかけしたであろうご迷惑の数々について、深くお詫(わ)び申しあげます。

 振り返れば、私は、多くの良き先輩、友人、知己に恵まれ、楽しい人生を送ってまいりました。平々凡々、成果もなければ挫折もなく、争いは極力これを避け、贅沢には無縁だがさりとてその日の糧に困るわけでもないという、いわば怠惰な生き方ではありましたが、私には快い一生でした。有り難うございました。

 少々思うところあって、私は、葬式その他これに類する行事は一切行わないよう、周りの者に言い残してあります。したがって、このご挨拶状が最後のお別れということになります。不遜のようですが、私は、来世とか霊魂とか、輪廻(りんね)とかいうものを信じておりませんので、今日只今、一握りの灰となって終わります。まことに勝手ながら、弔意を頂戴(ちょうだい)することはすべて固くご辞退申しあげたく存じます。

 どうぞこの先皆様が快適な毎日をお過ごしになりますよう、お祈り申しあげております。

 有り難うございました。さようなら。」

 文章はワープロで記されていたが、末尾に「小林克己」と直筆で署名されていた。

 関係者によると、この死亡通知は小林氏がかなり以前から、いずれ迎えるこの日に向けて用意し、「灰」となってから数日後に発送するよう知人に託していたようだ。計200〜300人に送られたという。

 封書には「附記」として「小林克己は1月4日、東京警察病院において、脳梗塞のため死亡しました。謹んでご通知申し上げます」という親族の言葉が添えられていた。

 小林氏は数年前に倫子(ともこ)夫人に先立たれてから都内で一人暮らししていた。ここ1、2年は知人に毎日自宅に「安否確認」のために連絡を入れるよう頼んでいた。昨年暮れ、知人が電話したところ、小林氏が体調を崩したことが判明し、東京警察病院に緊急入院した。そして年明け4日に死去した。


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