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選挙・議員関連情報スレ
3603
:
名無しさん
:2012/02/28(火) 22:45:03
http://www.at-s.com/news/detail/100102996.html
【杉山憲夫氏死去】「政治は人のため」貫く 気配りの人情家 (2/28 07:46)
人なつっこい笑顔で「のりさん」と慕われた親分肌の人情家。27日亡くなった元衆院議員の杉山憲夫さんは毅然とした判断と気配りの政治家だった。
酪農青年から町議、県議を経て国政へ。自民党からの離党、復党と、激動の政界を信念を貫いて立ち回った。
自民党では加藤紘一氏の派閥に所属し、2000年のいわゆる「加藤の乱」では、内閣不信任決議案に賛成投票しようとする加藤氏の腕をとり「だめですよ」とたしなめた。
新生党の旗揚げに杉山さんとともに参加した熊谷弘元衆院議員は「自民党が割れた時代の痛みを互いに共有した」と振り返る。旧衆院静岡2区で戦ったこともある栗原裕康沼津市長は「人をそらさず、行動力あふれる政治家だった」と惜しんだ。
「政治は人のために」が口癖。県立静岡がんセンター(長泉町)の開設に道筋をつけ、自らが、がん手術を受けた翌日に当時の石川嘉延知事に電話してがん治療の先端施設の必要性を訴えた。
昨年12月9日に沼津市内で開かれた長男の県議盛雄氏の自民党県連幹事長就任パーティーでは、元気な姿を見せていた。
復党、心強かった
望月義夫自民党県連会長(衆院比例東海)の話 杉山先生が「加藤(紘一)さんを総理にするんだ」と国会議員7人を引き連れ、自民党、宏池会に戻って来られた時は本当に心強かった。今、与党復帰を目指している矢先に大事な人を失い、残念でならない。
鋭い勘で存在感
柳沢伯夫元衆院議員の話 昨夏に電話で話した際はすごく元気だったので、突然の訃報に驚いている。政治的な勘の鋭い人。細川内閣当時の予算委員会で私が質問に立った際、理事だった杉山さんは散会後に首相の答弁を補足しながら、あの率直なもの言いで「何とか総理を理解してやってくれ」と。与党の時も野党の時も決して侮れない存在感だった。
常に地元に視点
山本博保清水町長の話 常に地元に視点を置き、中央政界において民意の実現に尽力される郷土の偉大な政治家でありました。後進の我々にも辛口ながら、温かく的確な助言をいただきました。ご冥福をお祈りします。
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