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選挙・議員関連情報スレ

3576名無しさん:2011/12/11(日) 14:32:25
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004675225.shtml
前神戸市長、笹山幸俊氏が死去 震災復興を指揮 

 前神戸市長で、在任中に起きた阪神・淡路大震災の復旧・復興を指揮した笹山幸俊4 件(ささやま・かずとし)氏が10日午後4時5分、消化管出血のため、神戸市内の病院で死去した。87歳。たつの市(旧兵庫県新宮町)出身、鹿児島県育ち。通夜と葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻翠(みどり)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 神戸工業専門学校(現神戸大学工学部)を卒業し、終戦翌年の1946年に神戸市役所に入った。戦災復興を担当する復興本部企画課に配属された後、都市計画畑一筋に歩んだ。

 81年12月に助役に就任。89年10月、5期20年にわたって市長を務めた故宮崎辰雄・元市長の後継として立候補し、助役同士の対決となった激しい選挙戦を制して初当選した。

 2期目の95年に起きた阪神・淡路大震災では4564人の市民が亡くなった。発生直後から約1カ月半、市長室に泊まり込み、救援活動などを指揮。その後も当時の貝原俊民兵庫県知事とともに、被災者支援や仮設住宅の建設などの復旧・復興に取り組んだ。

 復興まちづくりでは、都市計画のエキスパートとして土地区画整理事業や市街地再開発事業などを進めたが、震災発生から2カ月後という早急な都市計画決定などが住民の反発も招いた。

 また、被災者の避難生活が続く中、神戸空港の建設計画を推進。震災で厳しさを増す財政状況下で、着工の是非を問う住民投票条例制定の直接請求(98年)や市長のリコール(解職)を求める署名活動(2000年)などに発展した。

 在任中は、「山、海へ行く」といわれた同市のかつての開発手法が頭打ちとなる中、ソフト重視へとかじを切り、市民との対話や協働なども掲げた。

 このほか、都市のにぎわいとやすらぎが調和した「アーバンリゾート都市」を提起し、93年にはアーバンリゾートフェアを開催。また99年には「医療産業都市構想」を策定、神戸・ポートアイランドに先端医療の研究所や企業の誘致を進めた。

 01年11月に市長を退任。外郭団体「神戸国際協力交流センター」理事長を経て、同センター顧問を務めていた。03年、勲一等瑞宝章を受章。市長退任後も阪神・淡路大震災の追悼行事などに出席していたが、関係者によると、今年夏ごろから体調を崩していたという。

(2011/12/10 00:45)


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