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選挙・議員関連情報スレ

3549名無しさん:2011/11/06(日) 22:31:47
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111106-00000073-san-pol
評伝 西岡武夫氏 歯に衣着せぬ発言、小沢氏も一目
産経新聞 11月6日(日)7時55分配信

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参院本会議で、書類を見る菅直人首相(左、当時)の肩に手をやり声をかける西岡武夫参院議長 =8月22日、参院本会議場(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
 「政治家は命をかけて仕事しなくちゃ…」

 西岡武夫氏は昭和38年の衆院選で初当選以来、日本の行く末を案じ続けた、まさに信念と情熱と決断の政治家だった。

 51年に「保守政治の刷新」を掲げ、自民党を離党して新自由クラブを結成した。以後、自民党復党も含め多くの政党を渡り歩いたが、これも国家の将来を案じた上での決断だった。

 平成6年に民主党の小沢一郎元代表らと新進党結党に参画。以来、小沢氏と行動を共にしてきたが、自由党時代には、民主党との合併に慎重論を唱えて小沢氏を困惑させた。小沢氏も一目置く存在で、政策・政局課題などではしばしば相談相手になっており、小沢氏に直言できる数少ない政治家の一人だった。

 実際、今年6月、東日本大震災の復旧、復興の足かせになっていた菅直人政権に危機感を持った小沢氏はひそかに参院議長公邸を訪れ、「今の危機的状況に対処できるのはあなたしかいない」と、約2カ月後に予定されていた民主党代表選への出馬を求めた。

 西岡氏擁立劇は不発に終わったが、その後も参院議長として歯に衣(きぬ)着せぬ発言、行動を続けた。10月27日付産経新聞朝刊には、遺稿となった1面コラム「決断」を執筆し、野田佳彦首相をはじめとする全国会議員に政治家としての覚悟を促した。

 こうした言動ゆえに、政界では「気難しい」「孤高の人」との評や「議長の分限を逸脱している」との批判もあったが、実際には地位におごることのない、気配りの人でもあった。

 約20年前、駆け出しの政治部記者だった私は、自民党総務会長だった西岡氏の担当になり、政治記者のイロハを教わった。周囲からは「西岡学校」と揶揄(やゆ)する声が出るほどだった。「政治記者を育てるのも政治家の仕事」「政治家は『知らない』『言えない』と言うのは良いが、事実と異なる嘘をついてはいけない」と常々語っていたが、その裏には「誤った報道で被害を受けるのは国民だ」という思いがあったのだ。

 コラム「決断」は、帯状疱疹(ほうしん)で体調を崩された中での執筆だったが、題字を含め、締め切りギリギリまで推敲(すいこう)を重ねるこだわりをみせた。掲載後、西岡氏から届いた名刺には「わがままばかりで申し訳ありません」と書き添えられていた。(新井好典)

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