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選挙・議員関連情報スレ
3530
:
名無しさん
:2011/10/03(月) 10:13:33
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20110928/CK2011092802000140.html
県茶業界けん引 旧静岡1区選出・大石千八元郵政相死去
2011年9月28日
郵政相時代の大石千八氏(1989年8月撮影)
26日に75歳で死去した元衆院議員で郵政相も務めた大石千八(おおいし・せんぱち)氏は、静岡県内の茶業振興にも尽力し、情熱あふれる政治家だった。
大石氏は吉田町出身で、父親は衆院議員だった八治氏。NHKのアナウンサーを経て、1972年の衆院選に旧静岡1区から自民党公認で出馬し初当選した。以来、8回連続当選し、海部内閣当時の89年に郵政相として入閣した。
「直情型だが、嫌みはなく、支持者らは親しみを込めて『千八つぁん』と呼んでいた」。懐かしそうに語るのは、旧榛原町の町議や町長時代に大石氏の選挙を手伝うなどつながりが深かった県議会会派「自民改革会議」の大石哲司代表。「パーティーで同席した政敵の胸ぐらをつかみ、けんかをしていた場面を見たこともあった」と振り返った。
93年には宮沢内閣への不信任案に賛成して離党したが、親しかった河野洋平氏が自民党総裁に就任した際に復党。任期途中の94年、くも膜下出血に倒れ、その後は長い闘病生活を送った。96年に引退した。
茶業振興にも大きな足跡を残した。83年から6期12年、県茶業会議所の会頭を務めた。総務部長として大石氏につかえ、現在は同会議所の月刊誌「茶」の編集長を務める榎田将夫さん(63)は「会頭は当時、茶染めなど茶の多用途利用や茶の効能研究に、率先して取り組んだ。消費量が横ばいになって危機感を強めていた業界をけん引した」としのんだ。
榎田さんにとって印象深いのは、大相撲夏場所の表彰式で大石氏が土俵に上がり、優勝力士に新茶を贈った場面という。「アナウンサー出身だけに、よく通る声で『これは静岡の新茶です』と、北勝海や貴乃花に茶を贈った。全国へのPRになった」
◇
大石氏の自宅は吉田町神戸1470。葬儀・告別式は近親者のみで行う。香典、生花は故人の遺志により辞退する。喪主は妻玲代(てるよ)さん。
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