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選挙・議員関連情報スレ
3356
:
名無しさん
:2010/08/13(金) 18:40:25
http://www.agara.co.jp/modules/colum/article.php?storyid=195043
「国政に挑戦する若者は」
田辺市出身で、大阪市長を1971年から4期16年間務めた大島靖さんが7日、脳梗塞(こうそく)のため東京の入院先で死去した。実家は田辺市中屋敷町。当時、紀伊民報があった場所の隣で、南方熊楠邸の斜め向かいだった。
▼父の信之助さんは、和歌山地裁田辺支部長を務め、後に弁護士を開業した。3人の男子があり、3人とも東大に進んだ。長男知行さんは弁護士、次男靖さんは大阪市長、三男弘さんは辻原弘市代議士が亡くなった後、東北財務局長から衆院議員になり、秀才3兄弟として名を残した。
▼秀才兄弟といえば、田辺市上屋敷町の早川4兄弟も有名。上の3人は東大へ進学、四男は医業を継ぐため京大医学部に入った。しかし、長男はジャワで戦病死、三男は硫黄島で玉砕した。次男崇氏は戦後、海軍から復員して紀州民報(後に合併して紀伊民報に)を創設。その後政界に入り、自治、労働、厚生の3大臣を歴任して戦後復興に尽力した。
▼振り返れば、辻原氏や大島氏、早川氏が活躍していたころは、田辺から選挙ごとに二人の議員を衆院に送っていた。それが1982年に早川氏が亡くなって以降、選挙制度も変わったが、田辺出身の議員は出ていない。
▼20代で衆院議員に挑戦した早川、辻原両氏のような若者は、もうこの地から姿を消したのだろうか。そろそろ、彼らの使命感を引き継ぐ人が出てきてもよさそうに感じるのは筆者一人ではなかろう。 (草)
(2010年08月13日更新)
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