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選挙・議員関連情報スレ

3133名無しさん:2010/03/13(土) 11:04:02
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100312/plt1003121613007-n2.htm

小沢ひそかに病院へ…故田中角栄の金庫番“女王”死去
2010.03.12

 故・田中角栄元首相の政治団体「越山会」の金庫番を務めるなど、「越山会の女王」として一世を風靡した佐藤昭子さんが11日午前7時45分、都内の病院で急死していたことが12日、関係者の話で分かった。81歳だった。密葬は親族だけでしめやかに執り行われたという。

 佐藤さんは新潟県柏崎市出身。1946年の総選挙で選挙活動をしていた田中氏と知り合った。佐藤さんの自著『私の田中角栄日記』によると、当時17歳の佐藤さんが柏崎市内の雑貨店で店番をしていたところ、27歳だった田中氏が「今度、立候補した田中です」と店内に入って知り合ったという。

 佐藤さんはこれを契機に選挙を手伝うようになり、24歳で田中氏の秘書に。その後、田中氏の政治団体「越山会」の統括責任者などの要職を歴任し、「越山会の金庫番」「越山会の女王」と呼ばれていた。

 しかし、85年に田中氏が脳梗塞で倒れて政治生命を失うと、娘の田中真紀子氏によって解雇された。真紀子氏と昭子氏との根深い対立関係が背景にあったとされている。

 佐藤さんは田中派への影響力も絶大で、当時、田中派の中堅・若手議員であった橋本龍太郎、小渕恵三両氏らに加え、田中氏を「政界の師」と仰ぐ民主党の小沢一郎幹事長の姉貴分的存在でもあった。

 特に、小沢氏は趣味の釣りの釣果を佐藤さんに持参したりするなど親交が続いていたようで、急死した11日もひそかに病院を訪れたという。

 田中氏を長年取材してきた政治評論家の小林吉弥氏は「佐藤氏に何回も会ったが、男勝りの性格だった。角栄氏と呼吸を合わせ、頭の回転も決断も早かった。だから金庫番として君臨できた。女性的な優しさもあり、若手議員は『ママ、ママ』と呼んでいた。若手議員の顔色を見て、角栄氏の代わりにそっと金を渡したりしていた」と振り返る。

 また、小沢氏とのつながりについても「佐藤氏は小沢氏を『いっちゃん、いっちゃん』と呼んでかわいがっていた。角栄氏の死後、政界と企業をつなぐパイプ役をしていたが、晩年はうまくいかなかったようだ。あんな女性秘書は二度と出ないだろう」と話した。


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