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選挙・議員関連情報スレ

3105とはずがたり:2010/02/19(金) 00:02:08
>>3104-3105
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 田部家では支配人も手代も使用人も多くは家業を継いできた。たたら製鉄の現場監督を務めた「村下(むらげ)」は3度失敗したらお払い箱になるため、秘伝の技術をいっさい漏らさずに長男に伝えた。

 「父の時代の部下が半分くらいいます。いまの社長も部下だった人ですから」。真孝氏は将来の社長含みで山陰中央テレビの役員就任が内定していることについて手代たちにそう語ったという。

 祖父の23代当主・長右衛門氏は知事を務め、竹下氏や青木氏らの後見人として知られた。支配人の内藤さんは「23代さんも24代さんも、優秀でも学校に行けない子を援助しました」。田部家から造り酒屋の権利を譲り受けた竹下家の長男・登氏はその典型であった。

 23代は竹下氏の父親に「登のことはわしに任せっさい。銭はみんなわしが出す」と言って首相候補だった佐藤栄作氏の派閥に入る道筋をつけた。竹下氏も田部家が山を手放した時に国が買い取る手助けをするなど恩を返したという。

 竹下氏の秘書から参院のドンへ駆け上った青木氏も若い頃、23代の秘書として知事公舎に住まわせてもらっていた。長男も24代に秘書として仕えた。

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 「田部の若(真孝氏)が戻ってくるから、田部の家に戻さないといけないわね」。青木氏は年末、長男への世襲に否定的な県議と出雲市議にこう告げた。言葉通りにとれば、長男に政治家を継がせず、再び田部家に仕えさせるという宣言である。しかし、青木氏の真意は本当にそこにあるのか。

 青木氏が早大を中退して帰郷した時には「大社町漁協組合長」のポストが用意されていた。祖父も父も務めた役職だ。中央政界に君臨する間に漁協の統廃合でこの職はなくなった。青木氏は年末、久々に組合長室を訪れたが、応接セットはほこりをかぶっていた。もはや青木家の「家業」ではない。

 首相に上り詰めた竹下氏ですら自ら後継を指名することはなかった。2000年総選挙の目前、病床で引退を決め「後任は一任します」と側近の青木氏に託した。「選挙に勝つために後継を早く決めて欲しい」という支持者の声が、同じ竹下姓の弟・亘氏への世襲を強く後押ししたのである。

 自民党執行部は若手の反対を押しのけ、総選挙公約に掲げた「世襲禁止」を撤回し、今夏の参院選でも世襲候補の擁立を進める。青木氏と同い年の若林正俊元農林水産相も、今夏の参院選で公設秘書を務めていた長男に地盤を引き継ぐことが決まった。

 竹下氏の秘書から政界実力者にのしあがった青木氏は20年間、自民党の島根県連会長だった。それでも自ら世襲を口にできない、いや、たたきあげが口にするのをはばかられる風土が出雲にはある。

 青木氏は1月8日、年明け初めて出雲入りする。11日には竹下系県議団との新年会に顔を出すが、出馬表明はせず、18日の県連選挙対策委員会で青木氏の公認申請を一方的に決め、青木氏が受け入れるという筋書きである。身内へ受け継がせる環境が整うまで、漁協組合長から一代でつかみ取った政治家という「家業」を簡単に手放すわけにはいかないのだ。(南彰)


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