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選挙・議員関連情報スレ
3104
:
とはずがたり
:2010/02/19(金) 00:01:51
秘書上がり 世襲言えぬ風土
http://www.asahi.com/special/09011/TKY201002010294.html
2010年2月8日15時28分
写真白壁の土蔵群を50メートルほど行くと、田部家の門が見えた。竹下登元首相が花見に訪れたという枝垂れ桜は正月、雪に覆われていた=島根県雲南市(旧吉田村)、南写す
大晦日(おおみそか)の出雲は吹雪だった。日航機は着陸できず、出雲上空を1時間旋回した後、羽田空港に引き返した。子連れの父親がターミナルで「とうさん、ごめん。今年は帰るのあきらめるわ。よいお年を」と電話を入れている。
全日空機で隣の鳥取県にある米子空港へ飛び直し、バスと電車を乗り継いで出雲にたどり着いた時には2010年を迎えていた。
参院自民党の重鎮である青木幹雄氏が出雲に里帰りしなかったのは、大雪のせいではない。今夏の参院選に5選を目指して立つ決意は固めたものの、表向きは「年明けまでいっさい決めません」と公言して自らの去就を封印し、東京都内のホテルに引きこもった。
ことしで76歳。自民党は野党に転落し、重鎮批判も強まる。政界の師である竹下登元首相が築きあげた派閥・経世会のかつての栄華は見る影もない。昨年は「もう選挙には出たくない」と、かつての秘書仲間にしばしばこぼした。
選挙の年が明けても出馬表明しないのはなぜか。党内で世代交代論の標的に自分がなってしまったとの自覚もあろうが、それより自らの後継問題が大きいのではないか。折に触れ東京で青木氏に話を聞いてきて、そう感じてはいた。
青木氏にはことしで49歳になる長男がいる。小渕内閣の官房長官に就いた時は秘書官として首相官邸を経験させた。その後も、ほとんど帰郷しない父親に代わって公設秘書として毎週末のように地元入りし、まめに会合に足を運んだ。評判は悪くはない。
ところが出雲では青木氏の長男が世襲すること自体に抵抗が強い。政治経験を積ませるため3年前に出た県議選に擁立する案は、竹下系県議から慎重論が出て見送られた。青木氏とともに竹下氏を支えてきた県議が「竹下家が世襲するのならともかく、竹下の秘書あがりの青木が世襲させるのは納得できない人が多い」と耳打ちしてくれた。
世襲がまかり通る自民党に君臨してきた青木氏が、足元の世襲を思うままにできないとは、意外である。そのわけを解き明かすため再び真冬の出雲に戻った。
□ □
元旦も吹雪だった。昨秋の連載取材で出雲では「だんさん」の尊称で呼ばれる名家が圧倒的な影響力を持っていることを知った。とりわけ権威のある奥出雲の田部(たなべ)家を訪ねた。辺り一面は樹齢100年を超える杉林。「日本一の山林王」と呼ばれた田部家の山だ。
室町時代から、たたら製鉄を率いてきた。明治以降は炭焼きや林業へ転換し、フジテレビ系列の山陰中央テレビを創設。近年はファストフード経営にも手を広げる。当主は代々「長右衛門」を襲名してきた。
白壁の土蔵群を通り抜けた先に北大路魯山人や岡本太郎ら文化人が訪れた大屋敷がある。檜(ひのき)の門をくぐるとせわしない空気が漂っていた。使用人が江戸時代から伝わる正月料理の片づけや客人をもてなす準備をしているのだろう。かつては村人から政官財界の大物まで来客が絶えなかったという。
「今は田部家ゆかりの者だけなんですよ」。応対してくれた内藤芳文さんに丁重に面会を断られた。名刺には「田部家支配人」とあった。
それから2時間、外で待った。横殴りの雪がほおに突き刺さり、革靴が新雪に埋もれる。田部家当主に代わり林業などを担ってきた「手代(てだい)」と呼ばれる人々が次々門をくぐっていく。
ことしは田部家にとって特別の正月だ。先代が1999年に亡くなった当時、大学生だった「若さん」の真孝(まさたか)氏が今春、フジテレビを退社し、25代当主として出雲に戻ってくることになったからである。私と同じ30歳だ。
手代たちは枝垂れ桜がみえる3間通しの座敷に通され、奥の間に「大奥様」と呼ばれる先代の妻陽子(はるこ)さんと真孝氏が並んだ。
「4月から戻ります。昨年結婚して子どもも生まれたので、皆さん、よろしくお願いします」。真孝氏はそう切り出し、フジテレビの経理、営業、報道を経験し、米国特派員の体験談も披露したのだという。時折、笑い声が外まで聞こえ、田部家の世襲の儀式はとどこおりなく終わった。
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