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選挙・議員関連情報スレ

2759千葉9区:2008/12/21(日) 21:12:53
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081221/stt0812211917004-n1.htm
【政治部デスクの斜め書き】永田町に“学閥”はあるのか (1/4ページ)
2008.12.21 19:15


 先日、平日の午後に、久しぶりに、母校・慶応義塾大学の三田キャンパスを訪れる機会があった。慶応は今年創立150年を迎え、来年は、慶応を創立した福沢諭吉をテーマにした「未来をひらく福澤諭吉展」を開催する。そのことを取材するために訪れたのだが、話を聞く教授との約束の時間よりも、早くついたので、図書館の前の広場を歩いてみた。卒業して約20年がたつが、楽しそうに歓談する塾生らの姿は当時とあまり変わらない。「ここは平和だ…」と感慨にひたる間もなく、取材先の建物に向かった。




 このようなこともあり、国会議員が活動する「永田町」と議員の出身校にかかわる「学閥」について少し考えてみたい。

 政界の慶応出身者をみてみると、戦後の首相経験者の中には、故橋本龍太郎氏や小泉純一郎氏がいる。麻生太郎内閣には、9月の自民党総裁選に出馬した石破茂農水相らが、自民党では、保利耕輔政調会長や大島理森国対委員長、石原伸晃幹事長代理が中枢に陣取る。総務会長代理を務める船田元氏や麻生首相と距離を置く中川秀直元幹事長も慶応だ。

 野党に目を向けると、民主党の小沢一郎代表を筆頭に、国会の指令塔、山岡賢次国対委員長、若手の安全保障の論客、長島昭久氏らがいる。さらに、国民新党の綿貫民輔代表も慶応だ。

 無所属では、平沼赳夫元経済産業相がいる。

 それぞれ個性派ぞろいで実力者も多いが、慶応出身ということで、まとまって政治行動をとるケースは少ないと思う。以前、同僚と石原氏にインタビューした際、自民党内の慶応出身者の活動について、「(ベテランの)綿貫さんや平沼さんらが(平成17年の郵政民営化法案への対応をめぐり自民党から)いなくなって困った」と話していたことが思いだす。慶応出身であっても、与野党に分かれてしまえば、接触にも一定の制約がかかるのだろう。




 慶応出身の政治家の関係で、印象に残るのは、「橋本元首相と小沢氏」と、「小泉元首相と小沢氏」だ。

 橋本、小沢両氏はともに、自民党田中派出身で、その後の竹下派時代には、7奉行の一角を占め、早くからライバル関係にあった。小沢氏は5年に離党し、8年の衆院選では、橋本首相(当時)と野党第一党の小沢新進党党首(同)による「一龍対決」が実現した。このときは、橋本氏が勝利を収めたが、9年には、在沖縄米軍に関連する駐留軍用地特措法の扱いをめぐり、党首会談が実現し、協力して法案を処理することになった。双方に政治的思惑があったとはいえ、両氏は、国の大事とあらば、腹を割って話し合う余地を残した関係であったと思う。

 一方、小泉氏と小沢氏は厳しい関係にあった。小泉氏は、田中派を率いた故田中角栄元首相と「角福戦争」を演じた故福田赳夫元首相の福田派出身。その後、小泉氏は加藤紘一元幹事長、山崎拓元副総裁とともに「YKKトリオ」を結成した。また、7年の総裁選には、橋本氏に対抗して出馬し、敗れた。小泉氏の政治行動の底流には、常に「反田中」があるといえるだろう。これに対し、小沢氏は自民党を離党したとはいえ、田中氏の強い影響を受けた政治家だ。小泉氏と小沢氏が首相と野党第一党党首(民主党代表)として、対峙(たいじ)したのは、半年も満たない短い期間であった。だが、小泉、小沢両氏がともに慶応出身とはいえ、腹を割って話し合う姿は、想像がつきにくかった。




 しかし、永田町に“学閥”がないとはいいきれない。

 たとえば、政界の早稲田大学の雄弁会出身者といえば、最近の首相経験者をみても、海部俊樹氏、故小渕恵三氏、森喜朗氏らがいる。そのほかにも、自民党の青木幹雄前参院議員会長、民主党の渡部恒三元衆院副議長といった”重鎮”も一定の存在感を示している。


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