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選挙・議員関連情報スレ
2215
:
小説吉田学校読者
:2006/04/25(火) 20:44:06
公認候補並の取り組みって、その割には「公明党掲示板」のポスター数が少なかったということも事実。
7区の攻防:06衆院補選 担当記者座談会 「党対党」に変化 /千葉
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/chiba/news/20060425ddlk12010322000c.html
◇空前のパフォーマンス合戦
23日投開票の衆院千葉7区補選は民主党公認の太田和美氏(26)が、次点の自民党公認、斎藤健氏(46)にわずか955票差で競り勝って、初当選した。両党は立候補者選定段階でもたつき、告示後の選挙運動は空前絶後のパフォーマンス合戦だった。今回の選挙で勝敗を分けた要因は何だったか。担当記者が話し合った。【選挙取材班】
A記者 今回の選挙は候補者対候補者という構図から、党対党という構図に変化してしまった。民主党の小沢一郎代表の誕生により、告示前の約10日間にマスコミが民主党を取り上げ、「偽メール問題」の逆風がやんだ。危機感を持った自民党が頼ったのは、これまで成功してきた「小泉劇場型選挙」だった。両党とも大挙して国会議員を送り込む異例の選挙になった。この国にどんな政策が必要かという肝心要の問題が見えにくかった。まず、勝った民主党から。
◇がけっぷち民主、危機感から結束
B記者 がけっぷちだった。小沢代表の初陣で負ければ、昨年の衆院選、「偽メール問題」と続くどん底から、永久に抜け出せないのではないかとの猛烈な危機感があった。これが党を結束させた。投票日前日の22日は、小沢代表、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長の3人が太田氏と一緒に松戸市を練り歩いた。個人的なおん念を乗り越えたと感じた。
C記者 太田氏の「負け組ゼロ」のスローガンは受けた。自転車で回り、小泉構造改革のひずみとも言える格差社会に不安を持つ有権者の心をとらえた。昨年9月の衆院選で自民党から初当選した「83会」のメンバーが、JR新松戸駅でビラ配りをしていた際、中年の女性が「格差社会をどうするのか」と女性衆院議員に詰めよる場面が象徴的だったね。
D記者 小沢代表は自民党の幹事長経験者。中小企業や団体などを細かくまわる水面下の選挙運動で、自民党の支持団体や企業を切り崩した。自民党が嫌がる絶妙な場所に針を打ち込んだと言える。某しょうゆ会社とかね。
◇野田の投票鈍く、自民小差に泣く
A記者 自民党はあと一歩だったが。
E記者 自民党が強いと見られていた野田市の投票率が伸びなかった。斎藤氏は約2440票ほど太田氏をリードしたが、自民党県連幹部は「野田市議選を控えていることもあり、市議の動きがいつもよりも鈍かった。農村部のため、農繁期にさしかかったことの影響もある。投票率が高ければ、もう少し差をつけられた」と悔やんでいた。
B記者 武部勤幹事長の「最初はグー、サイ・トウ・ケン」は失笑をかったね。無党派層に関心を持ってもらうためだろうけど、センスがなかった。斎藤氏の服装はころころ変わった。当初はスーツ姿だったが、告示日はスーツを脱ぎ、その後セーター姿になったり、女性集会ではまたスーツを着せてすぐ脱がせるなど、「着せ替え人形」みたいでかわいそうだった。
A記者 公明党の動きは。
C記者 公明党は告示前、県議会で自民党とけんかしていて半身だった。修復にと武部幹事長が公明党県本部に出向いた。告示後は幹部が入って「公認候補並みの取り組み」(公明党県本部幹部)で支援した。斎藤氏の事務所の中には公明党の別選対まであった。ベストを尽くしたと思う。これがなきゃ、自民党は大敗だったよ。
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