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選挙・議員関連情報スレ

2147小説吉田学校読者:2006/02/17(金) 22:30:20
(続き)
 ●明太子
 選挙制度が小選挙区に移行した96年に正式に永田町から引退、すでに10年になる。後事は長男の欣弥さん(前民主党衆院議員、現在は浪人中)に託した。それでも、根っからの政治好きの血が騒ぐ。中洲で明太子をさかなに飲んでばかりはいられない。日本の行く末が気になって、2カ月に1度は上京しておられる。
 つい先だっても、後輩の江田五月さん(民主党参院議員)らととことん飲んだらしい。さかなはズバリ、前原誠司代表率いる民主党のていたらく。「民主党は何をしているのかとみなで怒ったんだ。質問攻めにあって、五月はたまらず、ぐーっと酒を飲みほしていた」。その翌日はこれも後輩の菅直人さん(民主党衆院議員)を議員会館に訪ねた。
 「おい! 新党を結成しろ! 前原に三くだり半をたたきつけろとね。前原はひどい。自民党の河野洋平よりも右だよ。民主党は右傾化してる。何のための野党か」
 驚くべき行動力、でもこれだけじゃない。楢崎さん、その足で、衆院副議長の横路孝弘さんのもとへも苦言を呈しにいったとか。おそれいる。病み上がりにしてこれだもの。「腹立っていることはいいことじゃないですか」。いささか、すごみのある笑みが浮かんできた。人さし指をぐっと突きだして。
 「ずいぶん我慢しとったが、前原が代表になって言いたくなった。いまの時代、『義と情』がない。米国産牛肉にライブドア、耐震偽装、官製談合……。4点セットですか。それでも、内閣不信任案をたたきつけるぐらいの野党がおらんのですよ。もう、オレの時代ならば考えられんな。政治のなんたるかを知らん。幼稚園だ。小泉内閣を総辞職に追い込むくらい気迫をもってやりきらんちゅうのは」
 ●「遺言」
 「遺言」−−。これまでの半生をしみじみ語った、地元ブロック紙の連載をまとめた近著の題名である。「本当は『命ひとすじ』という題やったんですよ。新聞社がつけてきたんですが、まあ、老い先短いからいいわいと」。ははははは、と。これは苦笑いである。
 波乱万丈の人生、やり残したことはない。だが、黙ってもいない。まだまだ声を大にして、言い続けていきたいことはある。改正ムード漂う憲法問題だ。
 「特に前文と9条は守らなければならん。ちまたの改憲論者は戦争を知らんですよ。中曽根(康弘・元首相)にしてからも。彼は海軍といっても主計科。備品調達などが仕事で、兵科じゃない。オレや田ちゃん(英夫・社民党参院議員)は特攻隊だった。亡くなった安倍晋太郎(元外相)もね。でも、息子はなあ」
 「大勲位」も、首相候補の自民党の「プリンス」にも辛らつな言葉を容赦なく浴びせかける。でも、世の中の動きは改憲へとまっしぐらのようですが。すると楢崎さん、ふいに声を落として言った。
 「小泉がいなければ何とかなるよ。だから万一、9月に辞めなかったら、オレ、記者会見を開こうと思ってる。あんただけに話す。それは……」
 ふふふふふ、笑い声が、「爆弾男」の不敵なそれに変わった。えっ、なにかスキャンダルでもにぎっておられる?
 「向こうは否定するでしょうけどな。小泉がやめれば発表はしないつもりです。関係者にご迷惑をかけることにもなるしね。まあ、この年になって、無理に恨まれることもないから」
 こりゃ、「遺言」どころか、まだまだ「時限爆弾」を仕込んでおられたか。失礼しました。でも、そんなことちらつかされて一番弱いのが新聞記者。人をそらさない手腕はさすが。「ほか、楽しみなかもん」。ひゃっひゃっひゃっ。笑い声がこだました。
 時計を見やれば、とっくに3時間がすぎていた。外の雨も上がり、肌寒さも感じない。いや、むしろ、祇園山笠ならぬ永田町での“まつりごと”に打ち込んできた博多男の情熱が、こちらにも伝染したようだ。【高橋昌紀】

 ■人物略歴
 ◇ならざき・やのすけ
 1920年、福岡市生まれ。旧制福岡高時代は水泳のインターハイ選手。九州帝大法文学部卒。45年の日本社会党結党に加わり、60年に初当選した。衆院議員11期。77年に離党し、旗揚げした社会民主連合の書記長に。著書は「今、時を追い、政界を斬る」(文芸社)など。私生活では焼酎党。
毎日新聞 2006年2月17日 東京夕刊


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