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選挙・議員関連情報スレ
2146
:
小説吉田学校読者
:2006/02/17(金) 22:29:59
>>2145
で、そのPKO国会牛歩で「私の大事な配下である菅君を衛視が引き摺り下ろすとは何事か」「(副議長)村山喜一さんとは同期の桜」と牛舌をやってのけた爆弾男の回想。
社民連は20年早かったか、10年遅かったです。菅と長妻で東京新党ってのもいいかもしれませんね。
しかし、食えない爺さんぶり。全文読めば、毎日記者をからかっているのが良く分かる。
特集WORLD:この国はどこへ行こうとしているのか−−楢崎弥之助さん
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/
◇老いてなお「爆弾」魂−−元社民連書記長・楢崎弥之助さん、永田町を離れても
◇いまの時代、義と情がない 民主党は小泉内閣を総辞職に追い込む気迫持て
ひゃっひゃっひゃっひゃっ。
そんな笑い声が、耳に響いてきた。わっはっはっ、でも、あっはっはっ、でもない。いたずら坊主そのもの。元衆院議員の楢崎弥之助さん、ご存じ「国会の爆弾男」は、おん年85歳を迎えておられた。
あれは大学浪人中の88年。リクルート事件で、政府追及の急先ぽうだった楢崎さんの議員宿舎に当時のリクルートの社長室長が訪れ、現金を手渡そうとしたところを隠し撮りした映像がテレビニュースで流れたのだった。その手法は論議を呼んだが、体当たりの政府批判、常に舌ぽう鋭く、怒りを隠さない姿がいまもまぶたに焼き付いている。
あの「爆弾男」が好々爺(こうこうや)然として、愉快そうに笑っている。
ここは福岡市東区。早朝からの雪がようやく、雨へと変わっていた。博多の中心から車で30分ほどの住宅街の一軒家。居間に飾られた写真が歴史を物語る。旧帝国海軍のりりしい軍服姿、原潜入港反対で機動隊ともみ合う鉢巻き姿、かと思えば、勲一等旭日大綬章を胸に輝かせた晴れ姿……。被差別部落の「解放の父」、北朝鮮の「建国の父」の写真まで並ぶ。で、冷蔵庫には博多名物、明太子とふぐ刺しがしまわれ、「今夜はこれで一杯やろうと思って」。
●ロッキード
今年は日本の政界を揺るがせた戦後最大の疑獄、ロッキード事件の発覚から30年になる。むろん、楢崎さんも国会を舞台に大いに活躍した。
「ああ、事件の関係者はみんな鬼籍に入ったね」
そう言って、なにやらニヤニヤと思い出すように右手の人さし指と親指で、真ん丸い輪をつくった。カネだというではないか。事件にからんで、田中角栄内閣の外相を務めた大平正芳氏の衆院予算委への証人喚問を要求したそうだ。「大平派幹部が100万円はあろうか、札束持ってきた。封筒にもいれん。あんたもオレの性質知っとろうが、と断ったが。しつこいんだよ」
そんなひとこまが……。昭和史の闇に葬られた真実が掘り起こされそうな気がして、どきどきしてくる。でも楢崎さん、続けて愛きょうたっぷり。こんなふうにとぼけておっしゃるから、困ったもの。
「本当はね、極秘文書なんか持たん時もあったです。それを堂々とあるような顔して、資料を出せ!と。すると向こうは『あいつのことだから隠し持っているに違いない。後でばれたら、まずい』と。そいで、どんどん資料がストックされていくんですな。もちろん情報の出所は絶対に守る。もらった情報は必ず役に立てる。これが秘けつです」
ロ事件は田中元首相の闇金脈の一環と最初に指摘したのはオレだった−−。そう胸を張りながらも、さらに続けたのは意外なお言葉。
「ある点では評価している。彼は首相になったとき、国会議事堂の食堂のおばちゃんにまで、祝儀を配った。金があるからなんだろうが、やはり苦労した人だった。国民の下の生活が分かっているんだなあ。いまの若い議員たち、目が届く? 心はあったよね」
一気にまくしたてた楢崎さんだけれど、ふと、真顔になった。「自分で思うんですよ。どうして、こう長生きしたのかなあと。同じこと、何べんも言ったらゴメンネ」。見れば、すっかり白くなった髪の毛、ひとまわり小さくなった体。穏やかに語りだす。
「あのね、ちょっと右足が悪くてね。びりびりくる。右視床出血になったとです。脳出血の一種ですな。昨年の9月、忘れもしない23日だ。ベッドで動けなくなってね。10月いっぱい入院したんです」
いまもほぼ毎日、リハビリのために通院している。85年に当時62歳だった妻の安代さんを亡くし、1人暮らしが続く。買い物はもっぱら近くのコンビニとか。朝はパンと牛乳、昼と晩は、いわゆるコンビニ弁当が多い。「お金ないからね」とは本人の弁。
「でねえ、退院後の11月30日には議員時代に秘書をしてくれていた妹が亡くなったんです。だから2人の息子を除けば、身内がいなくなった。悲しみよりも、寂しさやね。思い出すんだ。オレ、ほとんど家を顧みなかった。カミさんは苦労したと思うな。夫婦で温泉に行っているテレビの旅番組なんかを見ると……」
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