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選挙・議員関連情報スレ

1217とはずがたり:2003/10/17(金) 10:34
http://mytown.asahi.com/fukui/news02.asp?kiji=3154
混戦 ふくいの陣/03衆院選【下】
 「以前、自民党から出させていただいたのに、皆様の声を聞かず政治的な暴走をしてしまった」。2区から7年ぶりの政界復帰を目指す元職の山本拓氏(51)は12日午前、鯖江市内の事務所開きのあいさつの冒頭、集まった約100人の支持者にこう述べた。

 山本氏は90年に自民から初当選し、93年に再選を果たした。94年4月、当時の非自民連立内閣の細川護熙首相が突如辞意を表明し、政界再編の第二幕が始まるとの観測が流れるなか、太田誠一氏(現自民)、柿沢弘治氏(現無所属の会)らとともに自民を離党し、柿沢氏を党首に旧自由党を結成。その後、同12月に発足した新進党に参加し、95年に党県連会長に就任した。

 しかし、小選挙区制導入後初の96年10月の総選挙で2区に立候補し、自民の牧野隆守氏(77)に敗れた。その牧野氏は14日、事実上の政界引退を表明し、2区の自民公認争いは、自民に復党した山本氏と元経企庁長官の平泉渉氏(73)の2人に絞られた。

 山本氏は「自民という古い看板を維持するには、中身を新しくしなければ維持できないことが分かり、その改革に参加したい」と語る。

   ◆   ◆

 山本氏が自民で再出発することを支持者の前で誓った日の夕刻、1区から立候補する予定の元職の笹木竜三氏(46)は、福井市内で街頭演説に立った。

 応援に駆けつけた上田清司・埼玉県知事(元民主党衆院議員)は「官僚支配の構造を変えるために笹木君と戦ってきた」と親密ぶりを強調。笹木氏は上田知事を「新進党で知り合い、一緒に活動してきた」と紹介した。

 笹木氏も試行錯誤を重ねてきた。前回の00年6月の総選挙では、「自民を内部から改革する」と自民に入党届けをしたが受理されず、1区の党公認は松宮勲氏(59)になり、選挙では松宮氏に敗れた。今回は民主との連携の道を模索したが、話はまとまらなかった。

 このため、自民とも民主とも連携せず、無所属で戦う道を選んだ。政治の現状について、「自民にも民主にも改革派と抵抗勢力が混在している。もう一度政界再編があるはずだ」と話す。

   ◆   ◆

 96年の総選挙は、山本氏は新進党県連会長として、笹木氏は同幹事長として二人三脚で臨んだ。しかし、この選挙で山本氏は落選、笹木氏は当選と明暗が分かれた。2人はその後、政治的な接点がなくなった。

 山本氏は「新進は2大政党を実現するという小沢一郎氏の壮大な実験で、結果は失敗だった。自分もその実験に加わり失敗に終わった」と総括する。一方、笹木氏は「この実験は、地域から求めたものではなかったため長続きしなかった」との見方だ。

   ◆   ◆

 新進党は97年12月に解党した。当時、党県連に参加した幹部の一人は「笹木氏が当選し、県連は意気が上がった。しかし、肝心の党本部が、旧政党の意見がまとまらず空中分解した」と残念がる。今は、自由党と合併した新民主党について「新進党での経験を生かしうまくやっていけると思う」と期待する。

 当時、公明党は分党し、衆院議員と半数の参院議員が新進党に参加した。公明党県本部の石橋壮一郎代表は「2大政党を目指したが、日本の政治土壌、社会情勢に合わず失敗した。連立を組んで多様な政党の価値観を反映させ、政権を担っていくのが現実的だ」と話す。

 一方、社民党県連の関俊雄幹事長は「新進は理論も哲学もなく数合わせの政党だった」、共産党県委員会の西村明宏委員長は「非自民を打ち出しながら自民党政治を変える方向を示せなかったことが崩壊につながった」と批判する。

 今回の選挙は「政権選択選挙」と言われる。新進党の教訓を糧に立候補予定者はどう訴え、有権者はどんな判断をするのだろうか。

(この連載は、今林弘、重政紀元、石塚広志が担当しました)

(10/16)


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