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選挙・議員関連情報スレ

1109とはずがたり:2003/09/28(日) 23:32
【あの人は今 日本新党:佐藤佑一】

http://mytown.asahi.com/oita/news01.asp?c=5&kiji=1653
選択 衆院選/連立10年おおいた(上)

新党ブーム 政治に一石 改革は遠く

  93年4月29日、夜。

  佐藤佑一県議(現佐伯市長)は、熊本市の細川護熙邸にいた。日本新党の代表を務める細川氏の要請を受けて、衆院大分1区から同党公認で立候補するか否かの詰めの会談だった。

  既成政治の刷新、地方分権の推進と、2人の話し合いは1時間半に及ぶ。そして細川氏は「一緒に日本を変えよう」。

  この言葉が佐藤氏の胸を打った。当時、金丸信・元自民党副総裁の巨額脱税事件など国民の政治不信はピークに達していた。佐藤氏は「細川代表の決意を聞き、私も政治改革の志士に加わった気分だった」と振り返る。

  佐藤氏の選挙事務局次長を務めた稲垣英二さん(43)は「佐藤の知名度は低かったが、事務所には日本新党に期待する有権者が詰めかけた。自分の1票で政治が変わると、みんなが本気で考えていた」と話す。

  公示目前の6月30日。佐藤氏の応援のため空路大分入りした細川氏は、大分市の竹町商店街で「自民の一党支配をよしとするか、否とするかが争点だ」と訴え、街頭を埋めた聴衆800人の握手攻めに遭う。「日本新党、細川フィーバー」と注目された。

     ■   □

  そのころ、中央政界では自民党が分裂。93年6月には政治改革を旗印に、「さきがけ」「新生党」が結党された。

  県内でも現職の岩屋毅氏が自民を離党し、さきがけから立候補、自民県連会長で現職の畑英次郎氏も離党し新生党から出馬と「造反」が相次ぐ。佐藤氏も立候補表明の直前まで自民党佐伯支部長を務めていた。自民には危機感が広がった。

  投票日の7月18日。新党ブームも政治不信をぬぐうまでには至らず、投票率は67・26%と戦後最低を記録した。

  自民党は過半数を大幅に下回り、35議席を獲得した日本新党を含む3新党が躍進。8月9日、自民、共産を除く8党・会派の連立政権が発足した。日本新党代表で衆院初当選の細川氏が首相に就任し、38年間続いた自民党政権が幕を下ろした。

     ■   □

  佐藤氏は次点で落選した。

  引き続き国政を目指していたが、「志士の気分」で政治改革に加わった細川政権は94年4月、細川氏自身の金銭スキャンダルもあり、わずか8カ月で退陣。佐藤氏は「まず足元を固めてから国政へ」との支持者らの声を受けて94年8月、日本新党の推薦で佐伯市長に初当選。2期目を目指して落選したものの、昨年返り咲いた。

  佐藤氏は「日本新党は日本の政治に一石を投じたことは事実だが不完全燃焼」と評した上で、「一度政権を手放すという恐ろしい体験をした自民党が、何が何でも政権にしがみつくという迫力で連立政権を維持している。政治は10年前と何も変わっていない」。

      ◇

  この10年、政権を巡って各政党は離合集散を繰り返した。一方、本来の目的であったはずの「政治改革」は実現していない。衆院の解散・総選挙が迫る中、大分の衆院選の流れを見た。


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