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左翼に天誅を!靖国神社参拝を支持するスレッド
83
:
名無的愛大生
:2011/09/10(土) 17:40:37
>>78
少なくとも昭和天皇に限っては、平和主義者とは言えないな。
対米開戦直前の、昭和天皇と杉山元陸軍参謀総長との有名な問答がある。
杉山参謀総長が残した「杉山メモ」によれば、杉山参謀総長は、
英米を相手に「勝てるか」と昭和天皇に聞かれ、
「南洋方面だけは3ヶ月くらいで片づけます」と比較的短期間でことが済むような答えをした。
昭和天皇は間髪いれず、「予定通り出来ると思うか、
お前の大臣の時に蒋介石は直ぐ参ると言うたが未だやれぬではないか」と問いつめた。
答えに窮した杉山が「支那は奥地が広うございますので」と言い訳すると、
昭和天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか」と一喝したという。
さらに、昭和天皇は大声で「絶対に勝てるか」と質問し、「絶対とは申し兼ねます、
しかし勝てる算のあることだけは申し上げられます。必ず勝つとは申上げ兼ねます」という杉山の答えに、
天皇は大声で「ああ、わかった」といったのである。
1941年(昭和16年)9月5日の段階で「勝てるか」と陸海軍の両総長に確認し、
さらに翌10月に「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と開戦論の東條英機を首班に任命したという行為は、
昭和天皇自体が次第に開戦論に傾いていったことを証明するものであって、
それは御前会議という「儀式」を経て国の方針として開戦が決意され、
最終的には12月1日の御前会議にて米英蘭への開戦が決定されたのである。
http://www.shimousa.net/menu_tennou.html
つまり対中戦争の見通しがつかないなかで、さらにアメリカ相手に戦争を仕掛ければどうなるか、
敗北するリスクを十分認識しておきながら、戦火に投げ込まれる苦しむであろう国民のことなど何のお構いなしに、
陸軍との政治的対決を避け皇室を守るためだけに対米戦を決定した張本人こそ、昭和天皇その人だったのさ。
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