したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

日本近代の歴史認識について

1近藤 貴夫:2012/12/29(土) 17:27:06
近隣の、中華人民共和国(中国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)・
大韓民国(韓国)などから、日本国は「正しい歴史認識」に立つよう
迫られ、それらの国を被害者・日本を加害者として認め、日本が敗戦に
よって失ったものを取り戻そうとしたりせず、恒久的に謝罪し、彼らが
未解決としている問題について彼らの主張に沿った謝罪賠償等を行う
ように求められている。
しかし、日本政府は国益にかなわないそれらの際限ない要求を唯々諾々と
受け入れるわけにはいかず、日本国内には近隣諸国とは異なる歴史認識を
持つ人たちも各派大勢いて、その正当性を主張している。
そのことについて。

2近藤 貴夫:2012/12/29(土) 21:58:01
謝罪する、というのは、誰かが・誰かに・何かについて謝罪するのである。
その内実には、大きく3通りある。
まず、悪意・戯れ・過失・大きな怠慢等によって、誰かに損害・迷惑を
与えたり、法を犯した場合。他に正しいやり方があることが分かっていて、
本来ならそうするはずのところを、間違ったり失敗した場合である。
次に、やむを得ない事情であっても約束・契約・職責が果たせなかった場合。
天災だったり、病気だったり、誰かに脅されていたりして、自ら引き受け
ていた仕事ができなかったとして、その責任をとって辞職等する場合である。
第三に、受けていた恩義に、漠然と報いられていない場合も、謝罪する
ことがあるが、これは三つのうちで最も道義的に軽い場合である。

日本が「帝国主義的」な意図を持って「侵略戦争」をしたという三国の
主張に対しては、果たして、日本が取り得べき他の道が本当にあったのか、
日本が富国強兵を図り大東亜共栄圏を目指さなかったとしたら、本当に
その後の支那亜大陸や朝鮮半島が格段に幸福だったと言えるのか、今一度
再考を求めたいと思う。
そして、民族自決が当たり前になった現代の感覚で過去を裁いていいのか、
事後の基準で日本の指導者を裁いた「A級戦犯」の判決が正当なものなのか、
考えていただきたい。

日本は少なくとも、自分から侵略を仕掛けていったわけではなく、列強が
中南米やアフリカやアジアを分割支配していっている世界情勢のもとで、
自らが生き残り東アジア諸国が独立を維持回復するために必死に対応して
いただけである。19世紀半ばまで鎖国政策をとっていて、外国に攻め込む
兵力など全く蓄えていなかった所に、列強から開国を求められ、不平等
条約を結ばされ、そこから大急ぎで体勢を立て直していったのだ。
だから、朝鮮半島を併合せず独立させ、支那亜大陸にも独自政権を維持
させた上で、自らも自主独立を保ち、列強を排撃するなんていう離れ業は、
できようはずもなかった。
従って、悪意・戯れ・過失・大きな怠慢等、日本自身が主因で、周辺諸国に
迷惑を掛けたのではないと思う。わざわざ遥か遠くから植民地支配の魔手を
伸ばしてきた、オランダ・スペイン・ポルトガル・フランス・イギリス・
ドイツ・ロシア・そしてアメリカ合衆国が、東アジアに争いの種を蒔いた
のだ。
そして、日本は、東アジアの中で、特にその平和と繁栄を引き受ける義務や
責任を引き受けていたわけではないから、その違反も存在しない。
併合した朝鮮半島から収奪するのでなく、逆に本土から多額の予算を投入して
開発し、人口を倍増させたこと、スペイン人のインカ支配で人口が十分の一に
急減したのとは大違いである。併合した地域に対しては、きちんと統治の
責任を果たそうとしていて、敗戦の結果として、それが絶えたのである。

個々の人を見れば、日本人自らを含め、戦争の結果は悲惨であった。
多くの人が命を落とし、多くの町が灰燼に帰した。
けれど、その結果として、植民地主義を当然としていた国際情勢がガラリと
変わり、新しい秩序を生み出すことになった。
もしも日本がナチスドイツと同盟を結ぶことにならなかったら。
中国が内紛で四分五裂することなしに、日本と協力してくれていたら。
歴史に「もし」はないが、「本当に戦わない方が良かったんですか」とは
問うてみたい。
物量に遥かに勝る敵陣営に対して、無謀な開戦。
しかし、本当に、しなくてもいい「侵略戦争」だったら、無謀な開戦は
しないはず。あそこで開戦しなければ、もっとジリ貧にされて、戦うことも
できない状況で、東アジア全体が列強の植民地に成り下がっていたとは
考えられないだろうか。

3近藤 貴夫:2012/12/29(土) 22:18:07
「人一人の命は地球より重い」とか、誰が最初に言ったのかもよく分から
ないが、子どもの頃に聞き習って、その通りかと思っていた。
しかし、今は違うと思う。
かけがえのない地球という星に比べて、人間一人の命が重いはずないじゃ
ないか。国土・国家に対してだって、一人の命の方が重いなんてことは
理屈としてありえない。一人が生き延びるために、国家を犠牲にできると
でもいうのか。
戦時中の全体主義も極端な行き過ぎだけれども、個人をそこまで尊重する
個人主義もやはり間違いだろう。

日本の平和主義者は、人が殺し合うのはいけない、戦争は絶対悪だ、
日本は軍隊を持つことすらまかりならぬとか言う一方で、代わりに国を
防衛する有効な手段を言わない。
憲法九条で平和を謳っていれば他の国は侵略して来ないか、といえば、
そうではないことは目前の事実である。
平和主義を言うなら、国内に向けて軍縮を語るのでは全くの不足であって、
周辺諸国にそれを働きかけ、実現させなくてはならない。
どうして、北朝鮮の金政権三代に、大陸間弾道ミサイルや核兵器の開発を
思いとどまらせる成果を挙げていないのか。中国共産党政権に、尖閣・
沖縄・ひいては日本本土の併合を思いとどまらせる交渉が結実しないのか。

特に北朝鮮など、かつての大日本帝国以上の、独裁的政治体制、軍国主義、
秘密警察社会で、国民は慢性的に飢えに苦しんでいるというのに、なぜ
かの国は強く責められず、かえってかの国から日本が責められるのだろう。
何か基本的前提が間違っているのではないだろうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板