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創作メモ

83管理人:2012/03/25(日) 03:08:39
歌垣事件とそれに伴う平群氏討伐について。まず、これは古事記と書記で全然違う。
・古事記
ヲケ(即位前の顕宗)と平群シビがオウオという娘を巡って争う。翌朝、オケとヲケの二人で相談し、
「朝の間は臣下はみんな宮に行くけど、昼はみんな平群の家に来るから(!)、今のうちにやっちまおうぜ」
ってな具合になり、その勢いでシビを殺してしまうのであった。それで終わりである。
・書記
ワカササギ(即位前の武烈)と平群シビがカゲヒメ(物部アラカヒの娘)を巡って争う。カゲヒメは既にシビとできている。
歌垣での対決時にワカササギはそのことを知り、以前からマトリ・シビ親子が無礼だったことをも思い出して腹が立ち、
大伴カナムラの軍勢を差し向けてシビを殺害。この時、カゲヒメは嘆き悲しんだという。
ついでにカナムラはマトリ討伐を提案し、平群氏は滅亡するのであった。

この違いはかなり謎である。武烈は存在しないのかもしれない。顕宗・仁賢の作戦会議の内容からして、
この時期、平群氏が強かったことは確実と思われ、それが王家にとっても、他の有力氏族にとっても、好ましくなかったようだ。
しかし因果なものである。平群真鳥は大伴金村にやられ、大伴金村は物部尾輿に糾弾され失脚し、
尾輿の子・守屋は蘇我馬子に討たれ、馬子の子と孫・蝦夷と入鹿は中臣鎌子の策に掛かるわけである。

雄略以後、王家の状況が分かりにくいのは、こういう連中が続々と出てきたから、というのもあるんだろうなあ、と思う。
別にそれは清寧から始まったわけではないんだろうけど、雄略の反動は相当大きかったことは確かなようである。


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