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創作メモ
72
:
管理人
:2012/03/24(土) 13:57:05
まず年次について。これからして、すでに厄介である。安康の没年がよく分からない。
書記の安康在位は逆算から454-456年。古事記の安康在位は允恭没年から考えて454年からの数年間。(記&紀が合致!)
宋書では倭王興の462年頃。あらっ、今までは書記が仲間外れだったのに、安康は宋書が仲間外れだ。ますます分からん。興は安康じゃないのか?
一方、雄略没は書記が479年、古事記が489年、海外記事では502年にはまだ生きてる? 478・479年あたりの在位は確実か?
結局わからんので、とりあえず5C後半ということで話を進めますか。
書記の中でも吉備反逆、新羅出征、及び外交記事に関してはかなり面倒臭そうなので後回しにするとして、先に他を見たいところである。
記紀両方に記載のある葛城山の話から。
・射た猪が死なずに唸りながら寄って来たのにビビッて、木の上へ逃げ、歌を詠んだ。
(書記では逃げるのが舎人であり、猪は雄略に倒される。命に背いて逃げた臆病な舎人は雄略に斬られかけるが、嫁が雄略を諌める。)
・大王一行とそっくりの集団が現れ一触即発の事態に。名を名乗ると、相手は葛城一言主の神だという。恐縮した雄略は非礼を詫びて物品を献上。
(書記では一触即発の記載はなく、雄略の紳士的なふるまいを指して人々が「有徳天皇」と称した、とある。)
葛城は当然、葛城氏の本拠である。ありきたりな解釈では、雄略が葛城氏の怨念や祟りを怖れている、と見えなくもないし、そういう要素もあるだろう。
ただ、一言主は賀茂氏系である。この賀茂というのは謎めいた連中であり(神武代から出てくる)、三輪山の祭祀を担当する三輪氏もこの賀茂の系列である。
つまり賀茂は相当古参である。賀茂系の神社はいっぱいある。もともとは葛城地方を本拠地としてたらしいから、
古参の賀茂を新参の葛城が駆逐した、或いは、両者が結託したのだろうか? いずれにせよ、意味深な話である。
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