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創作メモ
1
:
管理人
:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。
66
:
管理人
:2012/03/22(木) 21:20:21
<〜紀元前後>
天孫降臨。先着者による小国の統廃合が始まる。今後7〜8C頃まで断続的に新着が渡来する。
<1C〜2C>
ナ国王や倭国王師升の記事。小国の統廃合がさらに進む。
2C半ば、倭国大乱の記事。覇権争いへ突入か。
<2C末>
【1】崇神(10)の立国。北九州ではこの頃に卑弥呼共立。勢力図が固まり、大乱収束。
<3C前半>
【2】垂仁(11)の治世。畿内では王家への権力集中が進む(纏向)。
【3】景行(12)の治世。吉備・尾張と手を結び、瀬戸内から東海までを勢力下に入れたか。
<3C半ば>
景行の九州遠征。数年後に九州を平定する。その間、卑弥呼死亡。
【?】仲哀(14)の暗殺。北九州における畿内勢力と九州勢力の結託。神功擁立。
(この時期、北九州新勢力へと対抗するため、景行・仲哀の遺子を担いだ留守番勢力が挙兵。)
神功東征。激戦の末、留守番勢力を平定して畿内入り。神功政権誕生。
この一連の流れが「卑弥呼の死後、国が乱れたが、台与を女王に立てて国内が治まった」ことである。
旧勢力の中でも勝ち組である大伴・物部の他、新勢力の勝ち組である武内系やタケフルクマ系(ワニ系?)の台頭。
67
:
管理人
:2012/03/22(木) 21:31:14
<3C後半>
【4】神功、崩御。
【5】応神(15)政権誕生。
新政権トップは武内系。婚姻政策によって旧勢力の懐柔も図る。
(※しかし結果的にタケフルクマ系へ肩入れすることとなり、禍根を残す。[応神=応神説])
(※【6】宇治が応神崩御後に山城で即位。政権トップはタケフルクマ系。[応神=応神説])
(※仁徳は既に難波入りしていたと考えられ、武内系と共に収拾へと動いていたか?[仁徳=仁徳説])
(※不遇の旧勢力が大山守を担いで反乱を企てるも失敗。[応神・仁徳=応神・仁徳説])
<4C前半〜中頃>
(※【7】仁徳(16)即位。宇治は暗殺? パワーバランスの回復。[仁徳=仁徳説])
内部抗争の収拾達成。しかし武内系の地位も相対的に低下?
この頃、政権は富国強兵に努める。(造船・大規模公共事業・何らかの民心懐柔策など)
<4C中頃〜5C初頭>
【8】仁徳二世。【9】仁徳三世。【10】仁徳四世。
仁徳の遺志を継いだ王が数代に渡って前政権の政策を継承。半島南部制圧。
*なお、上記(※……[〜説])記事については、【9】と【10】の間に入る可能性あり。[応神・仁徳=三世・四世説]
*その場合、宇治大王の時代がかなり変わってくる。現在保留中の問題。
68
:
管理人
:2012/03/22(木) 22:03:05
<5C前半>
【11】履中(17)即位。対外政策に伴う新着渡来の流入により、文字記録の開始。
【12】反正(18)即位。百年以上続いた安定期もこの頃までか。
<5C中頃〜5C後半>
【13】允恭(19)即位。この頃から中臣氏登場?
【14】安康(20)即位。血みどろの時代へ突入。安康も含め、
王位後継者の有力どころが次々に死亡(半分くらいは雄略のせい)。葛城氏没落。
【15】雄略(21)即位。
なお、倭の五王に関しては、
讃=【10】仁徳四世、珍=【12】反正、済=【13】允恭、興=【14】安康、武=【15】雄略、に比定。
紀元前後の天孫降臨を契機として、なんやかんやあった末、3C半ばに基盤(王統)が成立。
その後は王統の取り巻き連中が入れ代わり立ち代わり、調和と反発を繰り返して自己の維持に努めていく。
3C半ばの取り巻き勢力図と(古参の大伴・物部、新参の葛城・平群・蘇我、同じく新参のワニ)、
5C前半の勢力図とは、あまり変化が見られないようなので、小競り合いはあっただろうが、概ね安定していたと思われる。
ところが安康暗殺に伴って葛城が消え、以降、とりあえず雄略専制があり、その後の清寧から宣化くらいまでは
何が何だかワケ分からん意味不明時代へと突入していくのであった。
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