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創作メモ
49
:
管理人
:2012/03/18(日) 23:58:33
とは言ってみたものの、風呂に入りながら、応神・仁徳は4-5Cだよ派(通説派)の批判をかわせるかどうか考えた。
①サチヒコ=襲津彦だよ派
サチヒコとは三国史記に名前が見える新羅を攻めてきた倭人。通説ではサチヒコ=葛城襲津彦である。
この場合、四世の嫁が仁徳となり、襲津彦は武内の息子ではなく遠い子孫になる。
②ヤマモリ・ウジノワキの死が300年前後なら、そんな古い伝承が残っているはずないよ派
この場合、三世=応神、四世=仁徳、となる。そもそも履中の親父の代ですらよくわからんのに、
百年も昔のお家騒動なんて覚えているわけないだろ。ヤマモリ・ウジノワキはもっと直近、ということになろう。
③仁徳と武内の茶番はただの創作だよ派
雁が卵を産んでどうのこうの談笑したり歌を詠んだりする話である。
確かに内容的にどうでもいい話なので、創作というのはいかにもありそうではある。
④アコゴの存在を忘れているよ派
仁徳代と履中代の記事に出てくる。確かに忘れてたわ。
うーん、どの批判ももっともだと思われる。少なくとも、四世はかなり仁徳度が高そうではある。
その場合、神功が筑紫で生み、神功崩御後に畿内で即位したホムダワケと、
ヤマモリ・ササギ・ウジノワキの父親である応神は別物になるわけだ。応神=ホムダワケ、三世=応神。
つまり、応神・仁徳4-5C説が違うと思うから始めた当スレにおける考察は、堂々巡りしたというわけなのか?
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