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創作メモ

46管理人:2012/03/18(日) 17:03:00
そもそも応神や仁徳の年齢ってどんなもんだったのか?
長生きなのか早死になのか普通なのか、それすらも分からんからどうしようもないが、
他の親族との関わりからある程度は推測できるのではないだろうか? ちょっと試みてみよう。

台与の生年は235年頃とされている。これは卑弥呼が247〜248年頃に没し、台与が13歳でどうのこうの、
という記事があるからであろう。ただ、台与の女王戴冠は以下3つの時点が考えられるので、何とも言い難い。
①卑弥呼死去の時点 ②仲哀崩御の時点 ③畿内入り&政権樹立の時点
ここから先は管理人の予想でしかないのだが、おそらく①の時点で13歳だったのではないかと思う。
つまり通説同様235年頃の生まれと見るわけである。②の時点で13だと、何となく教育上よろしくない気がするのだ。
後は当てずっぽうだが、②が16〜17歳、③は24〜25歳だろうか?(神武東征は出発から即位まで6〜7年かかっている。)

そう考えると、ホムダワケは神功17〜18歳で生まれているので、253年頃生まれとなる。
ヤマモリとササギは別腹だが、ヤマモリの方が年上で、なおかつヤマモリにも兄貴がいるので、
まあ、ササギ誕生はホムダワケ22〜23歳の頃だろうか。とすると、275年頃生まれ。
ホムダワケ崩御年は不明だが、だいたい世紀の変わり目ぐらいだろうか。
宇治政権が仮に5〜6年くらいだったとすると、ササギは30歳くらいで即位したのだろうか。
70まで生きたとしても、崩御は345年くらいか。完全に空想でしかないが、当たらずとも遠からず、ってな感じか。


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