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創作メモ
26
:
管理人
:2012/03/14(水) 21:16:50
〜前回までのあらすじ〜
とりあえず、神功陣営の勝利。
266?年:台与の遣晋使 →この時までに神功東征戦は終わったと思われる。
これで神功陣営は北九州から東海・北陸までを支配下に入れたわけだ。
おそらくこの戦いで留守番陣営の一部は東へ逃れたと思われ、それを追撃に出た者たちもいたであろう。
この後くらいから纏向生まれの前方後円墳が全国各地に一斉出現する。古墳時代の始まりだ。
ちなみに箸墓は270?年頃の築造とされており、記紀では被葬者が女性とされていること、
また、その規模を考えても、卑弥呼ではなく神功の可能性が高いのではないかと推測する。
さてさて、神功崩御後は応神政権が誕生したと思われるが、
なぜかこのあたりから記紀の記述がひたすらぼやけてきて、結局どのような流れになるのかよく分からない。
<古事記>
ヤマモリ・ササギと王の課題の話→ウジノワキの母親との恋の話
→カミナガヒメをササギがもらってく話→百済の朝貢(後代?)→ヤマモリ反逆→突然昔話
<書記>
内外の安定(蝦夷や百済の朝貢など、後代? 他、公共事業など)→讒言による武内宿禰の裁判
→カミナガヒメの話(古事記に同じ)→半島の朝貢(古事記に同じ、後代?)→さらに吉野・吉備・半島の話
→アチノオミとかも出てくる→ヤマモリ・ササギと王の課題の話
なんだか時系列も滅茶苦茶な気がするし(外交記事などは本来4C末〜5C初頭の物である)、
応神一家の描写に関しても順番がバラバラだ。急にやる気をなくした印象を受ける。
それに、妙に平和なのも気になる。きな臭い記事は武内宿禰反逆疑惑とヤマモリ反逆くらいだ。
応神政権は乗っ取りで誕生しているわけであり、旧留守番陣営との抗争や、旧九州陣営と旧纏向陣営の仲間割れとかもありそうだが。
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