[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創作メモ
108
:
管理人
:2012/04/02(月) 01:00:28
すっかり「創作メモ」ではなくなってしまっているが、いつまで古代史ネタをやるのか、その区切りだけは示しておくこととする。
7Cが終わるまで。つまり、文武代でやめます。なぜ文武代かというと、今ここでやっているのは記紀を酒の肴にして
あれこれ好き勝手喋る、ということなのであるが、文武即位というのは記紀的にも一つの完成形だからである。
そもそも記紀、特に書記とは何か、という話になると、つまりそれは天武王権の正統性を証する目的を持って作られたものであり、
それが製作中であった持統代に様々な趣向が加えられ、8C前半になってようやく完成したものである。
要は、せっかく記紀を肴にしているんだから、その完成形である文武でやったらええやろ、という心持なのである。
推古は後継を指名しないまま崩御されたらしい。そこで、候補に挙がったのは田村皇子と山背大兄である。
前者の父は押坂彦人大兄(敏達+息長マテ王の娘)であり、母はヌカデ姫(敏達+伊勢なんとかの娘)である。つまり、完全なる非・蘇我である。
後者の父は厩戸(用明+穴穂部間人皇女)であり、母はトジコ(ウマコ+モリヤ妹)である。もろ蘇我系である。
厩戸・ウマコ・推古が没した後、政権の中枢にいたのはウマコ息子の蘇我エミシである。
ここでエミシは山背大兄に自重を求め、田村を擁立したと言われる。これが舒明である。
まあ、いろいろと説はあるが、管理人は単に山背大兄を推した境部マリセ(ウマコの弟)とエミシが喧嘩してただけだと思っている。
(他によくあるのが、①山背大兄まだ若い説、②山背大兄の人望が腹立つ説、③反蘇我勢力との対立が起こるのを嫌った説。
①はそんなに若いとも思えないし、②はいかにもありそうで胡散臭い。③については、まあ、それもあると思う。)
結局、舒明擁立の展開にブチぎれた境部マリセはウマコの墓を造る業務を放棄し、
エミシに反旗を翻したものの(もともと仲が悪かったような気もするが)、逆に討たれてしまった。まあ単なる最有力氏族のお家騒動である。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板