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【議論】武士道

48理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
にもかかわらず、権力、富、地位が平等でないもの同士のいかなる関係とも
同じく、主君と家臣の権利の厳密なバランスが、実際には、かならずしも維持
できないと考えるのが合理的である。家父長的構造論があらゆる社会的思想
を支配してきた東洋では、家臣の義務が親孝行の義務に同化されるのはほと
んど避けられなかった。この考えは中国古典思想のなかで生まれ、山鹿素行
や大道寺友山のような日本人の武士道論のなかにも生きつづけた。主君が
父親に類した権威をもてばもつほど、主君の権威はますます絶対的なもの
になった。東洋的観念では、息子は父親にたいして何の権利ももたなかった
からである。
しかし、日本では、中国や中世ヨーロッパと同じく、家臣が主君の行動を不正
で、適当でないと判断した場合は、いつでも主君に諫言(勧告)する権利を
もっていた。サムライが良心の声に反して主君の気儘に盲従したときには、
その家臣は「佞臣」(媚びへつらう幇間)、あるいは「寵臣」(卑屈なる追従に
よりて主君の愛を盗む嬖臣―― 新渡戸)とよばれた。あらゆる諫言も効を
奏さない場合には、家臣は自殺(切腹)の形で抗議しなければならなかった。

戦国時代には、不忠なサムライが主君をかえた例は日本の記録に頻繁に
みられる。だからといって、規範どおりの忠誠行為よりも不忠のほうが多かっ
た、考えるのはかたよった見方である。節操の問題は、不思議かもしれな
いが、統計的処理には適しない。わたくしたちは、大多数のサムライ ――   
このことについては、どの国のどの階級についても同じだが ―― が法典や
論集で定められた規準以下だったどうかを知る方法をもたない。成文化した
訓戒の存在自体が、サムライの身につけるべき徳目は、自発的に生まれは
しなかったことを物語る。徳川じだいにの武士道の最高権威大道寺友山は、
多くのサムライの品性が高尚でなかったと明言する。武士道を日本民族に
内在する先天的な素質だったと考えるのは、安易な人間生物論にまどわさ
れた、後世の著作家の誤解にすぎない。一九世紀末葉になるまで日本人
にとってすら、武士道論の実践の困難なことを否定する試みは存在しなかっ
た。といって、武士道の実践は不可能と考えられもしなかった。高級な武士
道の教えは紙上の産物で、意志の強弱にかかわらず、現実の人間におけ
る活力になりえなかったとするのは、根拠のない仮定である。

いつの時代でも、またどんな集団においても、高度の倫理体系の諸要求に
十分に応じたのは、一部の道徳的エリートだけだった、かれらは一般民衆
が達しえない道徳規準をつくりあげたが、一般大衆といえども、その道徳規
準の正しさを否定することはできなかった。


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