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【議論】武士道

39武士道の発見:2002/10/22(火) 03:09
外国と国交を回復してから半世紀たっても、日本は、依然として、
西洋人には閉ざされた、窺い知ることのできない国だった。なかば
伝説のヴェールをまとい、近づきがたく、、異国風の芸術、古風な
慣習、商業的利益に惹かれた少数の外国人をまねきよせるだけ
だった。日本が第一級の政治的存在と認められるようになったの
は、一九〇四(明治三七)年から一九〇五年にかけて帝政ロシア
と戦い、決定的な勝利をおさめてからである。日本が西欧諸国の
運命を左右する力があることがわかると、あちらこちらでこの国の
真価を見定めようとする知的な努力がなされるようになった。この
苦い経験と反発の感情から、西洋の哲学者たちは日本を現実的、
客観的に見つめ出した。日露戦争に派遣されたある従軍記者は
つぎのように書いている。
「わたくしたちは、いやおうなしに、すべての国民のあらゆる行動を、
支配し操縦する精神力の存在を認めざるをえなかった。ひとつの
階級でなく、上層から下層にいたるまでの全国民が、世界の歴史
と伝説のなかでももっとも有名なものに列する、価値ある行為に
駆り立てられた。この力はいったい何なのか、どこからきたもの
なのか、何を意味するのか、わたくしたちは知りたい。この力の
存在はわたくしたちを羨望させ、熱狂させ、ほとんど当惑させる」。

この疑問にたいし、東西の文化に深い知識をもつ優れた文学者
新渡戸稲造博士が解答をあたえた。かれはサムライの出で、クェ
イカー教徒であり、のち国際連盟の重要な役員となった。数ある
著作や評論のうち、一八九九(明治三二)年に出版された最初の
著述のなかで、日本の武士の道徳的原理の掟たる「武士道」につ
いて、西洋人の注意を喚起した。新渡戸博士はこのなかで、武士
道を「日本の国を支配する道徳的な力」であるばかりでなく「日本
民族の道徳的本能の総合であり・・・・民族の血とともに、したがっ
て神道とともに育ってきた」とものべてる。この大袈裟なきめつけ方
はなかなか見事で、博士の説得力は非常に効を奏し、西洋の識者
はこぞってこの「武士道」を、かれらの礼賛する(あるいは軽蔑する)
日本人の生活や政治の共通の分母と信じるにいたった。


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