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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
それは取りも直さずダーウィニズムの流れをくむ現代の学会の主流たる総合説論者も同様、
という事です。
つまり彼らは「何一つ」進化の真実を説明していないのです。
それで進化論者を名乗っている訳ですね。
進化を説明できない進化論者、と言う話です。
説明が出来ていないのにしたつもりになっている、されたつもりになっている。
これが「種の起源」におけるダーウィンの説明とその解釈です。
これは現代の総合論における自然選択と遺伝的浮動の説明においても全く変わっていません。
実際の所全ては机上の空論であり、事象の説明は「このように考えれば説明できる」と言った
レトリックをもて遊んでいるだけに過ぎません。
そこに事実による厳密な科学的証明は存在しません。
それが何故科学と呼べるんでしょうね。
競争原理を持ち込むと生命の複雑化と多様化が説明できない、と言うのはつまり競争原理では
進化の現象を結局何も説明できない、という事と同義です。
それにも拘らず、未だに大多数の進化論者と称する人たちは競争原理を市場のものとしています。
何時まで経ってもダーウィンの「生存のための闘争」の妄想に引きつられている訳です。
競争原理を至上のものとする、と言う愚かな思い込み。
競争原理が適用されるのは人間の社会においててあり、それは生物の日々の営みの世界の話です。
生物進化と日々の営みが混同されている、その区別が付けられないでいる訳です。
自然選択も同様です。
環境による生存の制限と、ゲノムの変異によってもたらされる進化の区別が
付けられないでいる訳です。
つまり、未だにダーウィニズム信仰が止められないのは、
思い込み、混同、無理解、そしてアカデミズム的な自己保身本能です。
それは半ば無意識的に彼らの内奥に潜んで彼らの思考を支配しています。
従って自己検証も出来ない訳です。
そしてその思考パターンが信仰と同一であることに彼らは気付いていないのです。
もう一つ、彼らをダーウィニズムに縛り付けているものに、
宗教に対する嫌悪、或いは宗教的なものが非科学的であると言う強い思い込みがあります。
つまり、ダーウィニズムを否定するとそれが神的な非科学的な存在の肯定に繋がる、という思い込みです。
これはID論を宗教として片づけたい、そう極めつけることしかできない、この思考回路と同一です。
ID論が宗教ではないことは繰り返し述べてきましたが、それを信じたくない人たちも
一定数存在します。
勿論彼ら自身が宗教的なドグマの虜であることに当人たちは気付いていません。
科学には禁忌は無いのです。
それを存在させてはいけません。
禁忌の存在を肯定した時点でそれは科学ではなくなります。
つまりあらゆる可能性を検討することが科学なのです。
その科学の基本たる前提を理解しようともしないで、多くの人たちが科学を語っています。
例えば設計者の存在を頭ごなしに否定することが科学である、と思い込んだりしている訳です。
ダーウィンが生まれたイギリスで特にダーウィン信仰が強い様です。
ニュートンと同列に扱われたりもしています。
唯物論信仰の強い日本の状況もそれと大差ないですね。
それはつまり信仰であり、基本的に信仰の母体は無知です。
その自らの状況に気付かない人達を愚かと呼ばずに何と呼べば良いんでしょうね。
ChatGPTは簡単に論破できますね。
完全に答えに窮するとエラーになります。
そして意外と素直に誤りを認めたりもします。
以下、ChatGPTのこちらの質問に対する回答の一部の転載します。
因みにChatGPTは一般の進化論を支持しているのでそれに対してこちらが突っ込んでいます。
===
確かに、ヒトとチンパンジーの遺伝子情報比較は、自然選択の具体例ではありません。
そのため、私の前回の回答は、進化論を支持しています、とする具体的な証拠を提供しているとは言いにくいです。
また、鳥のくちばしの形状の変化に関しても、その原因が自然選択であるかどうかは明確ではありません。
確かに、ゲノムの環境応答性などの重要性によってくちばしの形状が変化する可能性があります。
鳥のくちばしの形状の変化が自然選択の証拠であるかどうかは、もっと詳細な研究が必要です。
===
フィンチの嘴の変化をゲノムの環境応答性でも説明できると認めた点は評価できますね(笑)
時間はかかるが回答は出るようですね。
別の質問で、ID論は宗教か?と尋ねたことに対する回答です。
===
ID論(Intelligent Design)は、科学と宗教の間に位置する論理的な議論の分野です。必要に応じて主張します。
しかし、ID論は、特定の宗教的信念を制限としているわけではありません。 一部の宗教団体や信徒は、ID論を支持している場合がありますが、ID論自体は、宗教的信念を必要としていますとしない立場であると主張されています。
ただし、ID論が科学的理論として認められるためには、科学的方法論に従って検証可能であることが求められます。ID論は、この要件を満たすかどうかについて、科学的コミュニティ内で論争があります。
===
まあ、まっとうな内容ですね。
必要としていますとしない立場⇒必要としない立場
ですね。
自然選択論が事実によって証明されていない、という点に関して、ChatGPTとの対話において
完全勝利しました。
つまり、ChatGPTが自然選択論が科学的に明確には実証されたことは無い、という事実に
同意したのです。
===
はい、複数の変異が存在し、その中から選択されないことが示されている場合は、
自然選択が働いていることを証明することは観察できません。た現象が説明される可能性があるため、
科学者たちはそのような可能性を否定するために、複数の実験や観察による証拠を積み重ねることが
必要です。
===
上記はChatGPTの回答の一例ですが、前述したゲノムの環境応答性の可能性、もう一つ、上記の
尖閣市の不存在、この2点に関してChatGPTは最終的に自然選択論であることの実証例がない事を
認めました。
人間と違って、最終的にChatGPTは素直です。
選択肢の不存在、です。
この点もChatGPTはすぐ理解しましたね。
選択肢の不存在、つまり選択肢が複数存在していたことを証明できないのは
自然選択論の致命的な欠陥です。
ChatGPTも最初は自然選択論の証拠はいくらでもある、と強弁していましたが、
選択肢の存在の証明を求めるとあっさりその不存在を認め、自然選択論が証明されたものでは
ない事を認めました。
その判断はある意味的確です。
人間では中々そうはいきませんね。
もう一つ、ゲノムの環境応答性についてもさすがに理解が早かったですね。
環境に対応して遂げた変異に対して自然選択ではなくてゲノムの環境応答性である可能性を
示すと、すぐに理解し同意しました。
まあ、基本は賢いという事です。
自然選択論、つまり自然が選択をする、と言ってる訳です。
選択するためには当然複数の選択肢が必要です。
選択肢が一つだけでは選択することになりませんね。
これは基本中の基本ですよ。
その点を非常に多くの人たちが見逃しています。
一体何故なんでしょうね。
in the Struggle for Life=生存闘争の中で
ダーウィンの種の起源の標題で使われている言葉です。
生存闘争の中で、自然選択という手段により、となります。
闘争ですから戦う相手がいるんですね。
闘争の勝者はつまり自然が選択している訳です。
一方で当然選択されなかった敗者も存在します。
ダーウィンもその様に言っています。
そしてその敗者が存在した証拠は何処にもありません。
ついでですが、
On the Origin of Species=種の起源について
という標題に反して、同書の中で述べられているのは種が変異するという事のみで
その起源自体には何一つ触れられていません。
変異する前の種は示せても、そのそもそもの元の種が誕生した起源については何一つ説明出来ていません。
つまり標題からして人を欺く内容となっている訳です。
ダーウィン大先生には申し訳ないですが、暫く「種の起源」の記述を基に彼の批判を
続ける事にします。
はっきり言って、彼のロジックの展開の手法を把握してしまうと、この「種の起源」は
読めば読むほどそのうさん臭さにに耐えられなくなります。
勿論本人は極めて真剣に勤勉に取り組んでいる訳ですが、その発想、構想が根本的に誤っている為、
それに対して異常に固執し続けた結果そうなってしまった、という事なんでしょうね。
もっともうんざりするのは、自説の難点の存在を認めながらも最終的には一歩も譲歩するつもりがなく、
事実としての証拠を示すのではなくて常に言い訳のレトリックを弄するだけで、絶対に自説が
誤っているとは認めようとしないことです。
場合によっては論点を逸らしたりもします。
しかし彼の建前は、事実の前には何時でも自説を撤回する準備がある、なんですね。
その辺りのダーウィンの精神構造は、申し訳ないですがちょっと理解しかねます。
少し話が戻りますが、ChatGPTはゲノム情報の暗号性に関しては理解が極めて鈍いです。
暗号情報の生成には知性が必要あり、生命が誕生するためにはそのゲノムの情報が予め
用意されていることが必要であることをどうしても十分に理解できない様ですね。
再びダーウィンの話です。
種の起源の中で述べられている本能の章も酷いですね。
本能の本質から目を背けて、それがあたかも正当な事であるかの様か書きぶりです。
本能の本質は生命理解の上で極めて重要で且つ極めて解明困難な問題です。
そこから目を背けて居直ったように平然としています。
彼がひたすら語ろうとしているのは本能も変異する、という事だけです。
勿論それが科学者の態度ではないことは言うまでもありません。
またChatGPTの話ですが、こちらの主張したゲノムの環境応答性の意味をこちらが想定した
趣旨通りに理解していない可能性もありますね。
私が主張しているのは、ゲノムの持つ機能として環境に応じて自らのゲノムを変異させる能力の
事です。これはかなり大胆な仮説です。
ChatGPTはそうではなくて通常の生命体のゲノムの持つ機能としての環境応答性と理解している可能性が
あります。
当然ゲノムにはその様な機能も潜在しますが、それはゲノムの変異を伴いません。
私が提唱しているのは、進化に繋がるゲノムの変異を生む環境応答性です。
例えばレンスキーの大腸菌培養実験において12系統うち1系統のみが作戦演色性機能を獲得しますが、その機能には
少なくも2つの新しく発現した遺伝子が関わっていることが認められています。
いうまでもなく突然変異ですね。
その様な新たな遺伝子の発現がゲノムの持つ環境応答性によってもたらされた、という考え方です。
ChatGPTがそこまで理解していたのかは結構疑わしいですね。
ダーウィンは「種の起源」の最後の最後の結びの文章で、結構美しい言葉を記しています。
「生物はそのいくつかの能力とともに創造によって最初少数の形態またHは一つの形態に
吹き込まれたものであり、...」(第6版堀約」
この結びの文章に異論はありません。
残念ながら他にはあまり見当たりませんが。
ダーウィンはここで「創造によって」と述べていまね。
何故この言葉が最後の最後に出てきたのか良く分からりませんが、もしかしたらここに
彼の彼の生命認識の隠れた根源がそこにあるのかも知れません。
それはダーウィンが熱弁を続けた自然選択論とどう考えても折合いが悪そうです。
ダーウィンは基本的に宗教を嫌っていました。
同時に唯物論者と呼ばれることも嫌悪していました。
中々複雑ですね。
ダーウィンがずっとターゲットにしてきたのは宗教的創造論です。
そこでは確かに種は一切変異しないと主張されます。
一方で有神論的進化論に対しては何故か全く検証した形跡がありません。
種の起源の中では豊富な事例を挙げて論証しているように見えますが、
彼が見ていたのは実は極めて狭い世界です。
その狭い世界の中で、ずっと同じ主張を繰り返し述べている訳です。
宗教的創造論とは、例えば旧約聖書に書かれたキリスト教的創造論の意味です。
本能の話と言えば、ファーブルですね。
ファーブルの見解は自らの昆虫の観察に基づいており、つまり基本的に事実に立脚しています。
彼は「本能は、獲得されるものではなく、もともと具わっていたもの」と明言します。
ダーウィンの様に、本能の本質から敢えて目を背けるようなことはしません。
ジガバチの話は有名ですね。生まれながらに麻酔の名人、という話です。
ガの幼虫の極めて限らた一点に針を刺し死に至らしめず食用にする話です。
それはダーウィンが述べるように何らかの過程を経て獲得されたものでは無くて、最初から生まれながらに本能として
備わっている本能だと言う主張です。
極めて詳細な観察の結果であり、正しいでしょう。
これに対してダーウィンが有効な反論したという記録はありません。
ファーブルはダーウィン進化論の痛烈な批判者であり、昆虫記のターゲットはダーウィン進化論です。
ダーウィンと同時代に主張されたファーブルの批判は未だにダーウィニストによっても
克服されていません。
ファーブルは昆虫の狭食性も問題にしています。
パンダが笹しか食べない、これも同様に自然選択論では説明困難です。
パンダは通常動きが緩慢で捕食者としての狩猟能力に欠けており、また他のクマ科のクマの様に肉を食物と感じる味覚も
ありません。
竹笹を食物とするためにその味覚も消化器官も特化しています。
これは自然選択の結果では勿論なく、最初からパンダに生存のために与えられた戦略システムです。
つまり生まれながらして、ですね。
他の動物と競合しない竹笹と食べ続ける限り、パンダに如何に狩猟能力が無くても
決して飢えることはありません。
その巨体と相俟って競合する動物たちと争うことなく彼らの生存の安全は保障され、
他の動物たちではありえない無邪気さを人間に観察させて見せることが出来るのです。
コレだけ無防備な姿を平然と曝せる動物は、パンダ位しか存在しません。
つまり彼らは戦う必要が無いのです。
自然選択論の中核は競争原理です。
しかし進化がこの競争原理で導かれることはありませ。
競争原理はコスパが極めて悪いシステムです。
それは敗者を必要とするので、その敗者の生産という余計で無駄なコストを支払う必要があるからです。
そして、繰り返し言ってきましたが、この敗者が存在したという証拠は何処にもないのです。
生存に有利な者が生き残る、どころではなくて、生存し生命活動を行っている自体が
既にとんでもなく周到で膨大なシステムに支えられて初めて可能な事なのです。
ただ何となく存在してるものなどないのです。
最も単純な原核生物ですら、その背後には巨大なその生存を支えるシステムが潜んでいます。
それは現代科学が明らかにしてきた事です。
いくつかの選択肢を提供して自然様にその選択を仰いでいる間に、簡単に生物は絶滅してしまいます。
いつまでそんな妄想の虜になっているんでしょうね。
もう一つ、自然選択論が語られる際に決定的に見落とされている点があります。
それは選択されるとするその優位な形質の変異がどの様な確率でで生存に影響するのか、
その検証が全く行われていないことです。
例えば、馬の首が1センチ伸びたらそれが生存率に具体的にどれだけ影響及ぼすのか。
1センチなら影響しないが10センチなら影響するのか。
それを本来であれば事実によって検証する必要がある訳です。
想像で、多分その方が有利だろう、ではダメなんですよ。
ダーウィンの主張は基本的に空想です。
この事実はこのように考えれば説明可能だ、
一貫してこのような表現で彼は自説の正当性を主張します。
これがその動かぬ証拠だ、自説はこのような化石証拠によって裏付けられる、
こんな話は皆無です。
それを未だに科学と信じ込んでいる愚かな人達が少なくない訳ですね。
「種の起源」を科学である、或いは科学的に論述されている、更には科学的な証明が述べられている、
この様な理解、若しくはこのような主張、
これはそもそも「種の起源」に何が書かれているのか知らない、或いは理解していない、
更には科学と何か、科学的証明とはどの様なものなのか、
それを知らない、理解していない、
という事にはかなりません。
彼ら、つまりその様に主張する人たちですね、そういった人たちにはダーウィンを語る資格も
科学を語る資格もありません。
その資格のない連中が、自分たちの圧倒的な無知と無理解を棚に上げえて
未だに偉そうに色々と言っている訳ですね。
ダーウィンを知らずにダーウィンを語る、科学を知らずに科学を語る、
更にはそれを許容する少なからぬ人たちが存在する、
これは一体何を意味するんでしょうね。
"On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life"
これが「種の起源」の原題ですね。
『自然選択という手段、または生存闘争の中で好ましいとされる種が保存される事による種の起原について』
これはWikiに記載されている和訳ですが、当初の訳があまりに稚拙だったので、こちらが編集して修正した訳です。
編集は誰でもできますからね。
ここでダーウィンは生存闘争、自然選択、という基本概念を提示しています。
それによって「種の起源」がもたらされると言っている訳です。
生存闘争、自然による選択、ともに競合者が必要ですね。
そして何度も言ってきたように、今日選択されなかった、つまり敗れ去った競合者が存在したという証拠は
ダーウィンが提示てきていないのみならず、化石証拠はもとよりあらゆる現象の中で観察された事実はありません。
そしてこれも前から言っていることですが、ダーウィンが同書の中で述べているのは
ただ単に種は変異する、という事のみで、そのそもそもの種が何故誕生したのか、それについては
一切触れていません。
最初の生命体の誕生はもとより、3大ドメインの誕生、動物、昆虫、植物の誕生、脊椎動物の誕生、
それらは同書では何一つ触れられていないばかりか、現在に至るまで全く謎のままです。
つまり「種の起源」の標題はそれ自体が全くの有名無実の妄想に過ぎません。
科学的方法論に何一つ則らない「種の起源」を何故未だに経典の如く崇めた鉄る人々が少なくないのか。
それは謎と言う他ありません。
勿論いくつかの理由は推測されますが、専門家と称する人たちも含めて、その無理解の上に成り立つ信仰が
何故いここまで強固なのか、中々想像が及ばない世界がそこにはあります。
当然彼ら自身は、自分たちが進化の真実の理解の足かせになっていることに気づく筈もありません。
選択肢の存在を示せない、生存率の計算が出来ない、
コレだけで十分に
自然選択論は科学失格です。
ダーウィンは「種の起源」刊行後、1871年に「人間の進化と性淘汰」を著しています。
自然選択では説明しきれない形質の変化に対して、異性に対する性の嗜好によって
進化を説明しようという訳です。
まあ、自ら自然選択論の限界を認めているといことでもあります。
異性に対する性的嗜好は本能そのものです。
それ以外の説明は困難です。
にも拘らず、本能の本質から目を逸らして性嗜好を進化の要因として持ち出している訳です。
前にも述べたように、本能の由来は極めて説明が難しい問題です。
そして、ファーブルも指摘する様に、それが最初から備わっていなければ生物の生存は保障されません。
ダーウィンはそれら全てを無視して持論を展開しています。
ダーウィンはそれまでのキリスト教的創造論を打破した革命的な業績を上げた、
と言う様な評価をする人もいますが、これも間違いですね。
前にも書きましたが、既にラマルクが進化論を提唱しており、ダーウィンもラマルクを
高く評価しています。
実際変異の考え方はダーウィンはラマルクの考え方をそのまま踏襲しています。
ラマルクは獲得形質の遺伝を主張して評価を下げている様な印象がありますが、
ダーウィンもラマルクと同様に獲得形質は遺伝すると考えています。
それ以前にダーウィンの祖父であるエラズマス・ダーウィンが進化(evolution)の
概念を提唱しています。
つまりダーウィンに進化論の創始者であるかのような地位を与えるのは全くの誤りな訳です。
変異をラマルクの様に用不用的に考えるのであれば、実はその上更に自然選択を
持ち出す必要は無いのです。用不用で変異が起こるのであれば、それをまた自然によって
選択させるというのはおかしな話です。用不用で進化の道筋は既に決まっている訳ですからね。
ダーウィンが変異の要因をラマルクと同様にしか捉えられないのであれば、そこから更に
自然選択を持ち出すのは同義重複です。
残念ながらダーウィンにはその程度の論理的整合性を取る思考が欠けています。
ダーウィンが熱中したのは、種が微細な変異を積み重ねて変異する、その変異は自然によって選択される、
と言う自身の強い思い込みです。
ダーウィン氏一人に罪がある訳ではありません。
それに続く人たち、1930年代の集団遺伝学者と称される一団、遺伝子の突然変異を
変異の要因として持ち出しそれを自然選択と無理やり接合した彼らとそれに無批判で
追従した人々、むしろそういった人たちの方が罪が重いと言えるかもしれません。
まあ、彼らはダーウィンの上を行くデタラメぶりです。
検証が出来ないんですね。
そしてダーウィンを合理的な根拠を確認することなく信奉する。
自然選択論の厳密な検証が出来ないんです。
そしてそれを科学と称したりします。
開いた口が塞がらないんですが、それをまた多くの人たちが易々と受け入れています。
自然選択の観察例としてよく持ち出されるものにガラパゴスフィンチがあります。
一部のダーウィニストたちは、これこそ自然選択の観察例だとお騒ぎしています。
かれらは、環境に応じた変異が観察されさえすればそれが自然選択だと考える訳です。
正気なんでしょうかね。
普通に落ち着いて観察すれば、それは単なる環境の変化による生存の制限でしかありません。
干ばつによって嘴の大きめのフィンチの生存率が高まっただけの話です。
一体そのどこが進化なんでしょうね。
一事が万事、ダーウィニストはこの調子です。
信仰の対象を求めている、そう考える以外に彼らの心理を説明することが出来ません。
その信仰の対象がダーウィンであり、尚たちの悪い事に彼らはそれが信仰であることに気付いていないのです。
変異しなければ進化はありません。
これは誰も否定できないですね。
先ず変異ありき、です。
従って最初に論ずるべきはその変異がいかなるものか、な訳です。
選択だどーだ、と言うのはその後にくる話です。
その変異の理由をどう考えるかでその後の議論は全く別のものになります。
ダーウィンはそれをラマルクの用不用的に考えました。
それは極めて重要な点の筈ですが、種の起源の中ではあまりその点に触れられていません。
そしてダーウィニズムを引き継いだ総合説では、変異の原因を無目的な遺伝子の突然変異と考えます。
つまり、最初のよって立つ基盤が実は全く異なっている訳です。
それを無視してダーウィンが突然変異を主張したなんて言うとんでもない間違えを
平然と口にする人たちもいます。
ダーウィンは変異の原因に対しての意識が希薄なせいもあり、その後の総合説との
区別が曖昧になりがちですが、変異の原因を突然変異と捉えた総合説は実はダーウィンの
自然選択とは別のモデルです。
そして、この総合説において、自然選択論の矛盾はより明白になります。
問題の核心は突然変異です。
何故突然変異が起こるのか、どの様な突然変異が起こるのか、
ここに問題の全てがあります。
ラマルクはダーウィンより50年以上前に生物進化を主張し、彼の描いたグランドデザインは
ダーウィンより余程優れたものです。
彼の主張した獲得形質の遺伝も、遺伝子の発見により基本的に否定されていますが、現在エピジェネティクス
(遺伝子修飾)は遺伝することが現在認められています。
エピジェネティクスは後天的に獲得され、それは遺伝子自体の変異ではありませんが、
遺伝子発現のオンオフを制御します。
それが遺伝することが現在確認されています。
さらに彼の構想は生物が単純なものから複雑なものへ進化するというもので、これは
進化の実態を正確にとらえたものです。
「生物学」(biologie)と言う言葉を最初に用いたのもラマルクで、その生物学の観点からも
殆ど無意味どころか進化論の混迷を招いているダーウィンに対して、本来遥かに意味のある存在です。
批判されながらも確固たる地位を築いたダーウィンに対してラマルクは不遇の生涯を送りました。
この不公平感は如何ともし難いですね。
何故突然変異が起こるんでしょう
名無しさん
ご質問、有難うございます。
お答えしますが、次回以降ハンドルネールの記載をお願いします。
匿名の遣り取りは基本お受けしかねます。
突然変異の原因に関しては、これまでも何度か書いてきました。
現在専門家、研究者も含めて、突然変異の原因はエラー、コピーミス、外的要因による
損傷等、殆どすべて何らかの不具合、ミスであると認識されています。
それ以外の認識が示された例を見たことがありません。
その認識に従えば、人間も含めて現在存在している生物は全てそのエラーの累積だと言う
結論になります。
それを信じられるのか、と言う話です。
生命体には強力な遺伝子のエラー修復機構が存在し、エラーの発生確率を3〜4桁引き下げます。
また、分子進化速度は一定とするのが中立説ですが、分子進化は突然変異そのものですから
突然変異をエラーとすればその累積速度は一定であり、尚且つそのエラーは中立である、
と言う結論になります。
基本的にエラーとされる突然変異は有害であることが観察されています。
エラーでないなら何なんですか
また、進化に重要な役割を果たしたとされる遺伝子重複もエラーであれば有害なはずです。
実際エラーで起こる有害な遺伝子重複も観察されていますが、生物のゲノム上に存在する多くの重複遺伝子は環境対応力を
高めることが知られています。
つまり、突然変異がエラーによるものでしかないとすれば、生命進化現象の説明が付きません。
では、エラーではないとすれば何故突然変異が起こるのか、それは現時点では全く不明です。
これも何度も言ってきましたが、ゲノム上或いはその周辺に何らかの突然変異を誘発する
未知のシステムがある、と言うのが仮説です。
現在の所その様に考える以外に、適切な説明は見当たりそうもありません。
遺伝子重複という突然変異はエラーですが、環境適応力を高める場合もあるということでしょうか
重複遺伝子が環境適応上有利に働くことは広く知られています。
遺伝子重複の原因は突然変異ではないんでしょうか
例えば東北大のショウジョウバエの研究で、
ショウジョウバエ属11種の生息環境多様性と重複遺伝子の割合の関係が
調べられた結果、強い正の相関があることがわかった。このことは、重複遺伝子が生息環境の決定に強く寄与している
ことを示している。
と言う報告があります。
>遺伝子重複の原因は突然変異ではないんでしょうか
だからそれは突然変異だと言ってますね。
ただそれもエラーが原因とすると、説明がつかないと言っている訳です。
生息環境が、どのように遺伝子の重複という突然変異をもたらすのですか
生息環境が遺伝子重複をもたらす、とは誰も言っていません。
重複遺伝子が環境適応性を高めている、と言うのが観察結果です。
重複遺伝子誕生の原因は誰も解明できていません。
エラーが原因でない突然変異というのは考えらないんですが
突然変異さん、エラーが原因ではない突然変異が存在する、と言うのが
私の主張です。
その理由を直近で書いていますね。
そしてそれは未知にゲノム乃至はゲノム周辺のシステムの存在を示唆している、
と言う主張も上で書いて言います。
「未知」なら、何もわかっていないということですね
分かっていないから未知です。
その未知の何らかのシステムの存在が予見される、という事です。
実際ゲノムの機能の解明はまだ始まったばかりで、未知の事象が山の様にあります。
未知であることと存在しないことは全く別の事です。
これも何度も書いてきましたが、生命発生のプロセスは全てゲノムによって引き起こされますが、
その日常的に眼前で繰り広げられている現象のシステムの解明さえ極めて部分的にしかなされていません。
エラーが原因でない突然変異が存在する
どう証明するんでしょう
その理由も繰り返し書いていますね。
証明ではなくて合理的な推測です。
人間がエラーの塊だと信じられますか?
エラーではない合理的な突然変異というのは何を意味していますか
何を意味する、とはどういう意味ですか?
それが進化の原因です。
進化には、もともと目的があったということでょうか
そうです
誰の、どういう目的なんでしょう
誰の、と言うのは分かりません。
目的は生命誕生とその多様化と複雑化、そして人間の誕生です
これは事実の確認の結果ですが、一つの仮説でもあります。
ID論は知ってますか?
誰の、というのがわからないなら意味ないです
違いますね。上で書いてますが読んでいませんか?
未知と不存在は別の事です。
ID論は知らないんですね?
質問ばかりではなく答えましょう。
誰がどのように、が説明できなければ意味ないです
一方的な話しかできないのであれば、質問する資格は無いですね。
対話が出来ないのに質問してはだめですよ。
このスレは見ての通り、科学的生物的テーマについて論じる基本的に真面目なすれですから、
新規で参加する方は歓迎しますが、それなりの対応をお願いします。
最低限自分の立場或いは主張を明確にするか、それが無い場合はしっかり聴く姿勢を持って
質問するようにしてください。
自分の事を何も語らずただ一方的に質問をぶつけて言いたいことだけ言うのは、
感心しませんね。
ずっとダーウィンをターゲットにして色々書いてきましたし、実際ダーウィンrは
.どれだけ批判してもそのネタが尽きることは無いといった有様ですが、最も責められるべきは
彼に無批判に追従している人たちです。
彼ら、つまり盲目的なダーウィニストが何故未だにそうあり続けていられるのか、これは
心底理解に苦しみます。
そしてそれは一部のダーウィニストのみならず、広く一般に常識として受け入れられているという現状、
この異様な状況は一体どう考えればいいでしょうね。
自然選択論は多くの人たちに進化の当然の原理として刷り込まれています。
これは結構絶望的な状況です。
当面治癒は期待できませんね。
ダーウィニストたちが考えるような自然選択による進化は決して起こらない、
これを完全に理解している人は決して多くはない様ですね。
何がその理解を阻んでいるのか、これも理解に苦しむ所です。
自然選択論には事実の証明が皆無なだけでなくて、そのロジック自体が決定的な矛盾を
孕んでいます。
その競争原理によっては種分化も種の多様化も全く説明がつきません。
そんな基本的な事柄が何故理解できないんでしょうね。
ネアンデルタール人は人類ホモサピエンスと恐らく最も近縁な種です。
そして20万年近く地球上で共存していたと考えられています。
ネアンデルタールが絶滅したのは(まだ絶滅していないと言う話もあります)ホモサピエンスとの
生存競争に敗れたからと一般に考えられていますが、誰もそれを自然選択の例とは主張しませんね。
さすがにそれが自然選択のモデルではないことには気付くんですね。
ホモサピエンスもネアンデルタールも誕生した時点でホモサピエンスでありネアンデルタールです。
ホモサピエンスがネアンデルタールから進化したものでないことは明白です。
ある種が長時間かけて微細な変異を積み重ねて別の種に進化する、と言うのが
ダーウィンモデルな訳すから、それには全く該当しまん。
勿論このダーウィンモデルが事実として検証された例は皆無です。
にも拘らず、その実在しないダーウィンモデルが存在すると信じ込めるのは一体何故なんでしょうね。
顕生代における5度にわたる大量絶滅も流石に自然選択と称されることはありません。
単に生存する生物種の数が極端に絞り込まれただけの話ですからね。
その絞り込まれた種が、環境が生物に解放された時点で驚くべき多様化と繁殖を遂げます。
自然選択のモデルが介入する余地は何処にもありません。
前回の投稿者の見当がつきましたが、相変わらずですね。
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