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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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大腸菌の培養は時間を相当圧縮できますから、その経過時間で全ゲノムを追い続ければ解明の糸口が見つかるかも知れません。
しかしこれも極めて非現実的ですね。
でも明示的な証拠を得るためにはそれくらいしか方法がないかも知れません。
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研究者はそれが商売ですから、その方法を色々検討してもらいたいですね。
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自然選択の検証はどうなんですかね
最低3つのステップが必要です。
その全てのステップが存在することを実証しなければだめです。
そもそもその理解が出来ていないんで、話にならないですね。
最低限の検証です。
どーせやる気もないでしょうが。
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ただ適応的に変異しさえすれば自然選択だと言う極めて安易な思い込み。
よくそれで科学者を名乗れるもんです。
適応的な変異が自然選択の結果であると言うためには前述した3ステップの検証が不可欠です。
適応的な変異には自然選択以外の原因もあり得ることに何故思いが至らないのか。
まあ科学者失格です。
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何か適応的な変異が見出されると自然選択が検証された、なんてはしゃぐ研究者が結構いますね。
自然選択が検証されることの何が嬉しいのか、そもそも検出なんてされていません。
こんな感じて自然選択論者の判断は極めて甘いです。
科学的な検証の意味を十分理解することなく科学者を騙っているんですね。
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遺伝的浮動にかんしても如何にその言葉がいい加減に使用され、誤解と誤認に満ち溢れた説明がなされてきたか、
繰り返し説明して来ました。
つまり進化論村はそういう所なんですね。
それがおもちゃの家の周りに城下町を形成している訳です。
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自然選択は進化を説明する理論である限り、完全な誤りです。
それを用いて進化を説明しようとする時点で、その考え方は誤りであると断定できます。
進化を説明するにはその根本原因であるゲノムの変異した理由を説明する櫃があります。
逆に言えばそれが説明出来なければ進化の理由を説明したことになりません。
ゲノムの変異に関して説明しているのは中立説位で、その中立説は繰り返し述べているように自然選択論と全く接合していません。
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それ以前に、自然選択論は進化を説明する理論としては論理的に完全に破綻しています。
この話も何度もしてきましたね。
それを専門家も含めたV多くの人たちが「漠然」と正しいと信じ込んでいます。
適応的な変異が起こればそれは自然選択だ、この程度の浅薄な理解で、です。
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無知が宗教の母体であることも何度も述べてきました。
自然選択論に対する無知と無理解は結果としてそれが信仰の対象になると言う皮肉な結果をもたらします。
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そしてこれまた皮肉なことに、彼らは宗教を敵視し自ら宗教と対極にある存在と位置付けているのに、
その自分たち自身が宗教的なドグマの虜になっていることに全く気付きません。
道化を演じ続けるピエロの所以です。
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YouTubeでいくつか生物或いは進化に関するチャンネルがありますが、これまた全く安易に自然選択の言葉を
使っているケースが多いですね。
自然選択論に関しての無知無理解は極めて広範に深く染みついています。
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自然選択論はダーウィンの空想であり、何度も説明してきたように何人科学的な実証はありません。
事実によってそれが完全に裏付けられた例は皆無です。
単なる適応的な変異の例示では証明にはならないことも繰り返し述べてきました。
それにも拘らず、それが当然の科学的前提であるかのように述べられます。
あたかもニュートンの重力方程式のようにね。
敢えて相対性理論とは言いませんが。
とんでもない思い違いです。
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この詐術に多くの人が騙され、またそれによって騙してきました。
目が醒めないんですね。
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科学では無い空想を科学と信じ込むわけです。
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現在も事実ではない多くの事が一部の人たちに事実だと信じられていますが、
自然選択論はその最たるものの一つです。
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これは「人類」の恥です。
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科学的な証明が全く存在しない空想上の理論が自然選択論です。
ダーウィン自身もそれが科学的に証明されたとは一言も言っていません。
更に終生化石証拠の不存在を気にしています。
「このように考えれば説明可能だ」
この一点張りです。
よくそれで信じられますね。
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総合説はその自然選択論にあたかも科学であるかのような体裁を与えた
これまた極めて罪深い理論です。
勿論科学的に何一つ実証されていません。
総合説を称して美しい理論体系なんていう人もいますが、一体どこを見ているんでしょうね。
継ぎ接ぎだらけのごった煮、醜悪な理論体系です。
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自然選択自体がそもそも空想ですが、それをムリクリで突然変異と接合させます。
更に前述したように決して接点のない中立説やら何やらを取り込んでいるかの様に装います。
頭が全く整理できないんですね。
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遺伝的浮動、生殖隔離、この辺りの話も誤解と嘘と誤魔化しに満ちています。
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先ず自然選択を完全に頭から消し去ることが必要です。
それが出来ないと、何時まで経っても迷路から抜け出すことが出来ません。
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もう一つ、「偶然だけ」では決して進化は導かれないことを知るべきです。
若しそれが出来ないなら、それは想像力が決定的に欠如しているという事です。
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ラマルクとダーウィンは対立する進化論の様に捉えられ、その様な主張を行う人たちがいますが、
ダーウィン自身も述べているように、彼は同様に変異の原因を考え、ラマルクを支持しています。
それは種の起源に記載があるので、そんな主張をする人たちは種の起源を読まずに適当なことを述べていることになります。
その様な恥ずべき発言が平然とまかり通っているのが進化論村界隈です。
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自然選択を知らずに自然選択論を語る、ダーウィンの知らずにダーウィン主義を語る、
その様な恥ずべき事が咎めだてされる事が無い、そんな非常識がまかり通ります。
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そう言えば「荒らし」なんかはその極端な例ですね。
荒らす以外の事は何も知らない、恐るべき無知です。
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おもちゃの家の周辺に何故そんな城下町が出来上がってしまったのか、一部の無分別な人達と言うよりは
あまりに多くの人たちが集っていますね。
この異様な光景を当たり前と思う、まあ思考の貧困としか言いようがありません。
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無知はヒタスラ恥を晒します。
知能が低い、理解できない、調べない
そして嘘を吐きまくります。
つまり何から何までデタラメ。
それが「荒らし」ですね。
嘘を吐きまくってレスを毀損する事しか頭にありません。
このスレはそんな「荒らし」からは守られていますから安全です。
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嘘と妄想と事実の区別がつかないんで、結局荒らしに逃げ込むしかないんですね。
つまり痴呆です。
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痴呆が文章を書く自体がとんでもない過ちですが、荒らし目的なら正当化されると思い込んでいる異常者です。
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当然このスレからは排除されるので、書き込むことは出来まませんね。
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まあ、狂人のレベルです。
dから荒らし行為が止められないんですね。
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木村は、1988年に次のように述べました。「今後に残された大きな問題の一つは、表現型レベルの進化(注:形態の進化)と分子レベルの進化との間にどうしたら橋渡しができるかということである」[木村資生著『生物進化を考える』岩波文庫(1988年)58ページ、注:筆者]
それから30年近くたった近年、分子進化学者の宮田隆は次のように書いています。
「木村博士も述べているように、いかにして二つのレベルの進化を統一的に理解できるか? これは今後の分子進化学に課せられた重要な課題である」[宮田隆著『分子から見た生物進化』講談社ブルーバックス(2014年)42、43ページ]
形態の進化を、DNAの突然変異によって分子レベルで説明することができないという未解決問題が、現在なお存在しているのです。
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狂人は常に嘘を語ります。
狂人ですから。
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進化論村のピエロたちはさすがに狂人ではありません。
道化に気付かぬピエロです。
さすがに狂人とごっちゃにするんのは失礼ですね。
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ツイデなので、同じく阿部正紀東工大名誉教授のサイトで述べられていることを
転載しましょう。
進化学者が次のことを認めている。
自然淘汰理論は、進化学パラダイムで自明とされている前提から導かれる。それは、観測・実験で検証できないので厳密な科学理論ではない。
自然淘汰説と中立進化説を組み合わせた現在の進化論では、淘汰説(中立説)で説明できないときには中立説(淘汰説)で説明するので、検証が不可能である。
過去に一度だけ起きた歴史的な出来事を扱う進化学は、進化の未来と過去について解釈と物語を組み立てることしかできない。
進化学で扱われている数学的理論は、全て確率・統計的な計算であり、厳密な科学理論からほど遠い。
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勿論狂人は読む必要もありません。
読んでも分からないし。
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そしてまた嘘を重ねて荒らしに走ります。
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情報は知的存在しか発信できない。それ故、生命に必須の情報が暗号化されているDNAの起源、生命の起源は唯物論的な進化論では説明できず、知的存在によって作られたと考えるのが合理的である。
このことに気付いた無神論哲学者フルーは有神論(理神論)に転向し、ID論を受け入れた。それは、あくまでも科学的な証拠だけに基づいており、キリスト教のような啓示宗教とは無関係である、と彼は証言している。
全ての科学理論は人間の知性の働きによって作られてきたが、進化論では、人間の理解を超えた高度なパターン認識理論が、自然淘汰によって数百万年の時間をかけて一歩ずつ作られてきたと想定されている。
これも阿部正紀東工大名誉教授のサイトからの転載です。
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赤っ恥をかきちらす精神障害の低能児。
何しろ自分の言ってることすら理解できない痴呆。
重度の発達障害で実生活もサポートなしでは送れない。
荒らしにしか逃げ込むところが無い。
そしてまた更に赤恥を晒す。
その繰り返し。
自分のその赤恥すら認知できないのでそれが何時までも止まることが無い。
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嘘を書く。
デタラメを書く。
事実が何のか、その判別すらできない。
自分の疾患すら十分に認識できない。
それで赤恥を晒し続ける。
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学習障害で何事も理解できない。
学歴もない。
すがるのは「荒らし」だけ。
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仕事も出来ず満足な生活も送れず、
唯一デタラメを書き散らしてスレを毀損する荒らし行為に逃げ込むしか道が無い。
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大多数の人たちはロジックに実は弱い。
精密なロジックを組み立て展開でき人は殆どいません。
とても残念ですが、私は極めて稀にそれが出来る人間です。
これもとても残念ですが、今このスレで書いています。
自然選択論が完全な誤りであることを認識できる人間も殆どいません。
何度も言っている3つのステップが何故か理解できない様です。
少なくともロジックを見極める、と言う点においてはどうやら比類ないですね。
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前のスレから通算して10年以上書いていますが、その間に色々学びました。
勿論スレの他の人たちから学んだという事ではありません。
知識も理解も書き始めた当時とは比較になりません。
そしてこれもその過程で分かったことですが、進化論者たちの余りのお粗末ぶりです。
これも予想を超えるものでしたね。
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もう一方で宗教との混同が酷い事です。
これも予想を超えていました。
残念ながら私は宗教には全く興味がありませんが、宗教者、非宗教者が入り乱れて
混乱する様にも驚かされます。
宗教と科学を峻別して追求するだけの知性が無いんですね。
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宗教と科学を混同して見極めが付けられないのは、それは非宗教者においては
端的に知性の低さです。
宗教者においてはその動機に区別がつけらないことです。
ID論自体が非宗教である事すら理解できないのは論外ですが、宗教者が語るID論には
限界があります。
ID論の正否自体は宗教と全く無関係です。
従ってID論を支持する宗教者は自らの信仰と関係なくID論を語ることが出来ます。
その限りにおいてほとんどの主張は正しいですね。
しかし自らの信仰と接合しようとした時点で、それは正否の論争ではなくなります。
信仰の世界に突入してしまいますからね。
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実際ロジックだけでID論に到達した人は相当少ないかも知れません。
アントニーフルーはそうだと言えるでしょう。
頑強な無神論者が特定の宗教に入信したわけではないのに、DNA情報に直面して
81歳で転向した、これも極めて稀な人です。
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ロジックに弱い大多数の人はその辺りの事情の理解も覚束ないようです。
物理学は事実の検証によって全てその正否が明らかになります。
それが科学です。
生物学が科学であるためには全く同様の事が求められます。
この極めて当たり前の話が進化と言う検証不能の事象を扱うとデタラメになります。
困ったもんですね。
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周辺理解も含めて進化論の迷走は本当に目を覆いたくなるものがあります。
進化論は人文科学ではないんです。
それぞれが言いたいことを言っていれば済む話ではありません。
科学を名乗るのであればね。
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科学を名乗るのであれば当然厳密な検証が必要とされます。
空想で、こう考えれば説明できる、ではダメです。
これすら十分に理解されていないですね。
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何かしらの理論を提唱するのであれば、それが正しいと言うためには事実による証明が必要です。
事実い基づかないものは科学ではありません。
この基本中の基本が押さえられてないのが進化論界隈です。
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再現検証がほとんど不可能何で何とでも言えます。
それをいいことに、殆ど言いたい放題ですね。
その核心にあるのが自然選択論です。
何故なのか分かりませんが、大多数の進化論者は全てそこに帰着させようとします。
矢張り根本問題はこの自然選択論に対する信仰にありそうです。
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進化論の呆れた迷走ぶりは、全てこの自然選択論に対する無理解に起因すると言っても良さそうです。
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自然選択論はダーウィン時代の方がむしろクリティカルな状況に曝されていました。
総合説に取り込まれた後、何故か自然選択論自体に対する厳しい追及は影を潜めます。
見せかけの全く実質を伴わない科学的数理的な装いに騙されたんでしょうかね。
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自然選択による進化が如何に困難か、それが全く理解されていません。
少なくとも相当高いハードルをクリアしないとけっして進化がもたらされる事はありません。
それが理解できないんですね。
極めて安易にそれが成立すると信じ込みます。
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そう信じ込める理由が良く分かりません。
自然選択論がダーウィンの大発見であるかのように称する訳ですから、
それが当たり前のことのはずはありませんね。
勿論それが事実に基づいて科学的に証明されているなら別でが。
何度も言っているようにそんな証明は皆無です。
ダーウィン自身もそんなことは一切言っていません。
それが何故かどこでも起こり得る当たり前のことの様に理解されています。
この思考の転倒も良く分かりません。
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つまり多くの人たちが、その科学的に厳密な裏付けが何ら存在しないにも拘わらず、
それが科学的な原理の如く信じ込んでいる訳ですね。
矢張りその辺りに根本問題があるのは間違いありません。
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総合説における自然選択のモデルで話をしましょう。
先ず最初にくるのが変異です。
遺伝子の変異ですね。
これが無ければ始まりません。
さすがにここまでは誰でも理解できるでしょう。
変異が無ければ進化はありません。
進化における変異は形態上の変異ですから、それをもたらすのは遺伝子の変異です。
従って先ず遺伝子、つまりゲノム上で何らかの変異が起こる必要があります。
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まさか、ゲノムの変異なしに進化が起こる、なんていう人はいないでしょう。
その変異とはつまり突然変異です。
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その突然変異ですが、エラーによる元考えれば、有利な突然変異が起こる確率は一説では10の-6,000,000乗ともいわれています。
つまりゼロですね。
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6百万分の1ではないですよ。
有り得ないと言える確率です。
エラーと考えればここでアウトです。
でひとまずここは飛ばしましょう。
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仮にその極めて稀な突然変異が起こったとします。
しかしそれに対して有利ではない突然変異は遥かに多く存在している筈ですね。
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つまりそう考えれば突然変異だらけでないと話の辻褄が合わなくなります。
ここでもアウトですね。
しかしここも飛ばしましょう。
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その偶々誕生した突然変異は選択される必要があります。
ところで一体選択って何でしょうね。
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この選択の考え方がまたデタラメです。
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環境に有利な形質があれば生存に有利になる。
生存に有利であれば子孫をたくさん残せる。
やがてはその有利な形質を持ったものばかりになる。
ザックリ言うとこういうイメージです。
まあ、そう言われればそうなんだろうな、と言う印象は持ちますね。
しかし、それぞれを詳細に観察してみると色々疑問がわきます。
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先ず生存に有利になる、これってどの程度のものなんですかね。
工業暗化で考えましょう。
少しずつ変異する、と言うのがダーウィン的な考え方です。
それとも一気に変異したと考えますか?
ダーウィン的に考えた場合、少し羽の色が暗くなったら少し戦に有利になった。
それが積み重なった?
色が暗くなったらs実際どれだけ生存に有利になるのか。
損が具体的な数値は誰も検証していませんし、実際問題無理ですね。
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キリンの首で考えましょう。
前にも書きましたが、何センチ首が伸びれば何パーセント生存に有利になるんでしょうね。
そんな事は検証も出来ないし、誰もしようともしません。
実際の研究ではキリンが食べる葉の高さは首の中間から肩位の高さまでが多い事が判明しています。
実地に検証せずに想像で「高い所にある葉が食べられるようになれば生存に有利だ」と言っているにすぎません。
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つまり「生存に有利」を具体的に検証しなければ意味がない。
それを想像で言ってみたところで「空想」でしかありません。
しかしここも飛ばしましょう。
仮にその形質を持った個体の平均寿命が3年延びたとします。
中型哺乳類の想定です。
で、その3年延びた寿命によって何がもたらされますか。
そう少し条件を緩めてあげましょう。
生殖年齢である期間が2年延びたとします。
仮にそれ以外の形質が5年、その形質が7年とします。
単純に考えれば残された子供の数も7/5増えます。
しかし有性生殖ですよ。
どれだけその形質が受け継がれますかね。
有性生殖では両親の形質はシャッフルされます。
更にもう一つ、有利な形質が隔離集団を形成することはありません。
人為選択のようにね。
野生では集団内のその形質を持たないものとも平等に生殖機会があります。
その形質の個体が隔離培養される訳ではありません。
そもそもその様な繁殖年齢を明確に分かつ形質は存在するんですかね。
それが数値化された検証は勿論皆皆無です。
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変異と選択に関してもう一つ重大な問題があります。
工業暗化にしろ、キリンの首にしろ、その変異が集団中で存在するのは極めて少数の筈ですね。
少数であると言う事は変異が集団中に広まる確率的に非常にばらつきが発生するという事です。
尚且つその形質が多数派となり他形質を凌駕するに至るためには相当な時間を有することになります。
その間ずっと理想環境を維持する必要があります。
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更にもう一つ、微細な変異の累積であるなら、その方向性の変異が連続して発生する必要があります。
キリンの首で言えば10センチでも何センチでもいいですが、その首の長くなる変異が連続して発生し続ける必要があります。
そうでなければキリンの首は中途半端な長さで止まってしまいます。
その確率は改め考えるまでもなく途方もなく小さくなります。
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方向性のある変異が連続しなければ、キリンの首は決して長くなりません。
工業暗化にしても、少しだけ色が暗いが単発で発生してもダメです。
それともいきなりはっきりした暗色だけが発生しますか。
何故よりによって暗色だけが発生するんですかね。
どれだけ非現実的な話か良く分かります。
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その変異自体の極めて低い確率、その優位性の数値的な検証、集団中に広まる過程、
これら全てを検証してそえが実在し得ることが証明されて初めて自然選択論が証明されたと言えます。
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そんなものは実在しないんですよ。
する訳もありません。
ここまで言っても実在し得ると考えられる妄想家はとてもじゃないですが正常な神経の持ち主ではありませんね。
でもそれでも尚実在する、と言うトンデモ無いのが少なからずいる訳です。
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その有利な突然変異の確率、その形質と生存率の関係、それが現実化する理想環境、微細な変異の累積、集団中に広まる過程、
それら全てがネックです。
科学ではなくて空想物語ならそれで構いません。
空想科学ですね。
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他にも決定的に説明のつかない多くの問題が存在します。
種分化、種の境界の問題も致命的ですね。
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スタートである突然変は言うまでもなく極めて重大な問題を抱えています。
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自然選択が絵空事でないと言うなら、上記を完全にクリアする必要があります。
どの部分でクリアできなければ、自然選択は成立しないことになります。
クリアできないが成立する、の抗弁は成り立ちません。
それは、存在しないが事実だ、と言う強弁と同じですね。
自然選択が存在するのかどうか、それが進化論を論じる大前提です。
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それを決着させないで議論を進めることは出来ません。
主流を任ずる総合説は言うまでもなく自然選択が大前提です。
自然選択が成り立たなけれ、その前提が崩れ去ります。
適当に誤魔化せばいい話ではありませんね。
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ここまで話せば、如何に一般に論じられている進化論が馬鹿げたものであるか
良く分かります。
空想を信じて語っているにすぎません。
つまり無意味です。
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シZ線選択を理解しない、説明出来ない、ましてや照明なんてとんでもない連中が
進化論を偉そう語っている訳です。
その前に自然選択論の構造を理解しないと駄目です。
話になりません。
しかし目が醒めないんですね。
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自然選択を信じることは理性の敗北です。
宗教に屈していることに気付かないんですね。
教条の虜です。
中世のスコラ哲学と何ら変わりはありません。
一番怖いのはその無自覚です。
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ID論を宗教と非難する当の本人が宗教的なドグマに冒されまくっているんですね。
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宗教と科学を混同して見極めが付けられないのは、それは非宗教者においては
端的に知性の低さです。
宗教者においてはその動機に区別がつけらないことです。
ID論自体が非宗教である事すら理解できないのは論外ですが、宗教者が語るID論には
限界があります。
ID論の正否自体は宗教と全く無関係です。
従ってID論を支持する宗教者は自らの信仰と関係なくID論を語ることが出来ます。
その限りにおいてほとんどの主張は正しいですね。
しかし自らの信仰と接合しようとした時点で、それは正否の論争ではなくなります。
信仰の世界に突入してしまいますからね。
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大多数の人たちはロジックに実は弱い。
精密なロジックを組み立て展開でき人は殆どいません。
とても残念ですが、私は極めて稀にそれが出来る人間です。
これもとても残念ですが、今このスレで書いています。
自然選択論が完全な誤りであることを認識できる人間も殆どいません。
何度も言っている3つのステップが何故か理解できない様です。
少なくともロジックを見極める、と言う点においてはどうやら比類ないですね。
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科学を名乗るのであれば当然厳密な検証が必要とされます。
空想で、こう考えれば説明できる、ではダメです。
これすら十分に理解されていないですね。
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実際ロジックだけでID論に到達した人は相当少ないかも知れません。
アントニーフルーはそうだと言えるでしょう。
頑強な無神論者が特定の宗教に入信したわけではないのに、DNA情報に直面して
81歳で転向した、これも極めて稀な人です。
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前のスレから通算して10年以上書いていますが、その間に色々学びました。
勿論スレの他の人たちから学んだという事ではありません。
知識も理解も書き始めた当時とは比較になりません。
そしてこれもその過程で分かったことですが、進化論者たちの余りのお粗末ぶりです。
これも予想を超える遥かに超えるものでしたね。
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もう一方で宗教との混同が酷い事です。
これも予想を超えていました。
残念ながら私は宗教には全く興味がありませんが、宗教者、非宗教者が入り乱れて
混乱する様にも驚かされます。
宗教と科学を峻別して追求するだけの知性が無いんですね。
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科学は事実を解明する学術分野である、と定義することが出来ます。
事実の対極にあるのは、虚構、想像、信仰、と言った概念になります。
科学とはそもそも基本的に西欧文明によりもたらされたものです。
そして、中世までの西欧文明を覆っていたのはキリスト教です。
キリスト教は宗教であり信仰です。
つまり、中世までの文明は事実と虚構の区別が曖昧な状態だったわけです。
その事実と虚構の区別が曖昧なカオス状態から脱却する先鞭をつけたのが、
ガリレオからニュートンに至る近代物理学の系譜です。
それは事実を数理的に説明する、と言う普遍性を持つ試みでもあります。
ポイントは事実です。
事実の裏付けが無いものは科学とは呼べません。
それは想像に分類されます。
従って、科学とされるためには事実による検証が絶対的な必要条件になる訳です。
その要件を踏まえたうえで自然選択論を検証すれば、それが科学かどうか
自ずと明らかになります。
つまり自然選択論は空想でありそれを信じるのは宗教的信仰に他なりません。
それが自明であることを認識できないのは自ら教条の虜であることを認めることになります。
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前にも述べたように、ID論には教義も経典も教祖も信仰の対象となる人格神も存在しません。
IDを神と呼ぶのは自由ですが、宗教的な意味での神には該当しません。
宗教は無検証に前提となる神を信じるのに対して、ID論のIDは検証と考察と結果の結論です。
それでも尚ID論を宗教と呼ぶのは、ID論に対して基本的に無知であるか、或いはどうしても
ID論を宗教と位置付けないと不都合な事情が何かあるのか、そのどちらかという事になります。
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物理学がガリレオに始まりニュートンに至る経緯を経て近代科学化を成し遂げていきますが、
それに対して生物学の近代化は2世紀以上の遅れをとります。
生物学の近代化を成し遂げたのはパスツールです。
パスツールは初めて実験手法を用いて微生物が自然発生しないことを示しました。
それが科学的な手法です。
それに対して、ダーウィンは科学者でも何でもありません。
ダーウィン自身、ずっと地質学者を自称していますね。
純粋に地質学の観点からいえば地質学者も科学者ですが、彼が提唱しているのは生物の進化に関する理論です。
それが何ら科学的手法に依拠していないのは、「種の起源」を読めば明らかです。
「科学(science)」と言う言葉がよく使われだしたのは比較的近年ですが、ダーウィン自身
科学と言う言葉を殆ど使っていません。
実際、実験と観察、観測による事実の検証、この最も基本的な近代科学の手法をダーウィンが
十分に理解していたと思える痕跡はありません。
「このように考えれば説明できる」
これがダーウィンの口癖です。
そこに事実による検証は存在しません。
ダーウィンが最後まで気にしていた「あるべき膨大な中間種の化石の不存在」に関しても、
自説の最大の弱点と認めながらも、その不存在の理由に様々な言い訳を用意することに熱心で
事実の裏付けがないままに自説の正しさを主張し続けます。
これは思索だけに頼った古代ギリシャ哲学者と大差ありません。
スコラ哲学の様にロジックの精密性を追求することもありません。
彼が引用している膨大と思える事例も、現存する数百万に及ぶ生物種に比べればほんの大河の一滴にしか
過ぎません。
自然のごく一部をピックアップして語っているだけです。
それそれを多くの人々が騙されて科学と信じ込みます。
それは騙される側の責任でもあります。
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科学には禁忌は無いのです。
それを存在させてはいけません。
禁忌の存在を肯定した時点でそれは科学ではなくなります。
つまりあらゆる可能性を探りそれを検証することが科学なのです。
その科学の基本たる大前提を理解しようともしないで、多くの人たちが科学を語っています。
例えば設計者の存在を頭ごなしに否定することが科学である、と思い込んだりしている訳です。
そしてそれ自体宗教的ドグマと何ら変わらないことに気付こうともしません。
つまり盲目の科学教信徒たちです。
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何度も説明して来ましたが、自然選択論は簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
生物の進化を概観すれば、これも何度も言ってきましたが、複雑化と多様化です。
では、複雑化と多様化は実際に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
単純であればその複製も簡単で安全であるのは誰でもわかります。
多様化にしても、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要は全くありません。
或いは様々な環境に対応できる少数の種を生み出す方が遥かに効率的です。
つまり、複雑化も多様化も生存の優位性とは全く無関係です。
これは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを完全に無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、それが自然選択論者の態度の真実です。
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この極めて基本的な進化の事実すら説明出来ない自然選択論に対する信仰を止めようとしない人たちが
進化論の足を引っ張り続けます。
150年以上にわたって進化論は歪められた姿のまま変容します。
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何故科学な証明が全く存在しない理論を多くの人たちがあたかも証明された科学理論であるかのように誤解し、信じ込んでしまっているのか。
それも半ば常識であるかのように多くの人たちに信じ込まれています。
これは厳しい言い方をすれば人間の理性の敗北です。
1930年代の集団遺伝学者と称される一団がそれまで科学から見放されつつあった自然選択論を強引に科学に仮装させて祭り上げます。
しかし最も問題なのはその詐術に易々と乗せられた無批判な人達です。
それに追従して自立した思考を展開できなかった人たちこそ最も責任が重いと言えます。
それは宗教者の態度と何ら選ぶ所がありません。
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100%の全会一致は不健全と言われたりもしますが、それもまあケースバイケースですね。
100%TAの全会一致が正しい事もあるでしょう。
しかし通常はどの様なテーマに関しても、一定するの反対意見が存在することが通常です。
多数派と少数派どちらが正しいかも勿論ケースバイケースですね。
多数派が正しい蓋然性が高いと言うのが民主主義の依って立つ前提です。
政治の目的が最大多数の最大幸福であれば、それも已む得ない所です。
科学ではそうはいきません。
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少数派である事実の主張が弾圧されてきたことは歴史を見れば明らかです。
その弾圧は主として宗教者サイドからのものからでしたが、そうとも限らないは自然選択論がよく示しています。
つまり自然選択論者サイドからの一種の弾圧です。
宗教者サイドからの弾圧とよく似ていますね。
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自然選択論は科学信仰と妄想が合体したかなり奇怪な存在です。
科学と宗教を峻別することのできない知性の弱さがその存在を支えています。
当人たちは科学だと思い込んでいるので、宗教的とみなされるものを排撃します。
それが宗教的ドグマ自体であることに全く気付かずに。
そしてそれが進化論を迷走させ続けます。
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無知が宗教の母体であることは繰り返し述べてきましたが、自然選択論に関しても全く同様の事が言えます。
その無知には自然選択論自体に対する無知も含まれます。
逆にそこが通常の宗教と異なる点ですね。
宗教であることの自覚がないのは勿論根本的に異なる点ですが。
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