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「俳句ダービー」?
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パルティアの概略
以下、ウィキペディア+私見
パルティア(紀元前247年頃 - 226年)
紀元前3世紀なかごろにセレウコス朝の支配力が衰え、バクトリアが独立した。
これとほぼ同時にアルサケス1世と弟のティリダテス1世が指導者として独立。
この後、セレウコス、バクトリアとの勢力争いに入り、
ミトラダテス1世(前秦の符堅)が、
バクトリア、メディア地方、セレウコス朝の中核地帯であるバビロニアを攻略した。
しかし、この広い征服地域に、アレクサンドロスの残党、
ギリシアのマナセ族、エフライム族を抱え込み、
彼らは親セレウコス朝、親ローマの政治傾向が強く、
パルティア内部の親ローマ派(マナセ族)の勢力の支持母体となっていた。
↓
セレウコス朝はアレクサンドロスの部下から始まる匈奴系だが、
パルティアがローマ帝国(マナセ族)と対立する時点では、
北イ勢力と仲が良いようだ。
セレウコス朝は匈奴+南ユダと推定したが、
推定を取り下げて、未だ不明に戻す。
南ユダの勢力も入り込んでいるように見えるが、政権による変化があるのだろう。
ミトラダテス1世はその後、インド北西部までを制圧した後、没する。
その後、マナセ・エフライム族の支援を受けて、
セレウコスの「ギリシア人王」(セレウコスは北イ系に変わったのだろう。)
が、メディア地方、バビロニアを取り返すが、
パルティアはこれを鎮圧する。
ミトラダテス2世は、
サカ族、ギリシア人、トハラ族(大月氏)、セレウコスと争いつつ、
パルティアの最盛期を作る。
前53年、三頭政治のローマ帝国を、
カルラエの戦い(第1回パルティア戦争)で破るが、その後、
ローマ帝国、アラン人(?サルマタイ)との争いを続けるが、
紀元後、198年、第7回パルティア戦争に敗れたのちに内紛をおこし、
第8回パルティア戦争でローマを撃退するものの、
混乱はますます激しさを増し、全土に反乱が多発する。
220年、それに乗じたペルシア王アルダシール1世はパルティアを侵攻。
サーサーン朝を設立した。
パルティアは、トハラ(大月氏)と闘っているが、
ローマ帝国(マナセ族)と対立し続けた南ユダ勢力と仮定。
東で対応する前秦がチベット系、氐族なので、
パルティアも同じ民族と仮定。
インド−イランの南ユダ系シュメールのミトラ教の影響が強く見られそうで、
ミトラダテスの「ミトラ」は、ミトラ教で、南ユダ系だろう。
ミトラ教もわかりにくいが、ゆっくり時間がとれたら、
東條真人さんの研究に目を通して勉強しようと思っているが、今は棚上げ。
地図は以下のサイトから、前2世紀のミトラ教分布。赤丸はミトラ教の中心地。
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_West.html
https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002373.jpg
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