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哲学・宗教質問箱

318Sekko:2008/04/20(日) 20:29:13
神の子が神になったわけ
 「何度もすみません」どころか、大羊さんが今まで質問をしてきたギョーカイの人々がこの大切なところにちゃんと答えられてない方が大問題です。
 私は、考えれば考えるほど、ナザレのイエスを神とした三位一体の神学の意味に感動しています。詭弁とか、単なる伝統とか、深く追求しないで敬して遠ざけるっていうようなものではありません。
 今の私たちから見ると、古代の人たちはこうこうだと言われたら何でも受け入れたけれど現代人には納得できないものは呑みこめないよな、と思うかもしれませんが、昔から、三位一体が「なんか変だ」「無理がある」と思う人はいくらでもいたわけです。いやむしろその方が多かったでしょう。それですごく論争が起こり、325年のニカイア公会議で司教たちの多数決で「イエスは神」としたわけです。その時点ではそう認めることの必要性がいくつかあったわけです。しかし、キリストは神とは別の被造物で神の養子になっただけとするアリウス派系統の力は依然として強く、皇帝コンスタンティヌス2世もそっちを支持しました。
 今のキリスト教でもエホバの証人なんかはイエス=神を認めてなかったと思います。とにかく、「三位一体」って無理があるんじゃない? という疑問は、キリスト教の成立の歴史と同じくらい古い疑問出し、解決していない問題だと言えるかもしれません。
 だからこそ、ニカイア公会議から100年以上も経った後でまた、451年のカルゲドン公会議で、改めて、「イエス=キリスト=神ではない」説が弾劾されました。でもそのおかげで、この二つの公会議の間に、この教義を確立した教父たちが出て、とてもすてきな三位一体弁護論を繰り広げています。私は特にナジアンズのグレゴリウスが好きで、彼の論議の展開を見ていると、イエスの死と復活の物語が今日的に有効であり得るには、三位一体のダイナミズムが絶対必要だったんだなあ、と納得できます。あの時代の最高の知性たちが、どうしてもこの教義をたてなければ呪術的な古代世界から弱者を解放できないと考えたのは、理解できるんです。そして今も、残念ながら世界中で弱者が抑圧されてる現実は変わっていないので、この考え方を継承するのは意味があると思います。私にとっては結果オーライだなあって。

 今、たとえば「教祖が神だという強弁」を誤解されないようにとキリスト教関係者が及び腰になって人間イエスのすばらしさだけ強調したり、あるいは、三位一体のような教義は禁域に隔離して祀っておくだけみたいな態度をとるのは不思議なことです。
 このことについて、少しだけ、『カトリック生活』(ドンボスコ社)の5月号(発売中)と、次号(5月10日発売)に書きました。

>で、皆さんにお尋ねしたいのですが、「イエス=人であり神であり」とか
>「三位一体」とか、未信者からすると奇妙奇天烈な教義が成立した過程、
>歴史を詳細に、それでいて、未信者にも分かりやすく解説した本ってない
>ものでしょうか? あくまで、歴史と過程です。

 という大羊さんの質問にどなたか答えてくださるとうれしいです。
 なければそのうち私が書きますよ。


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