[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
哲学・宗教質問箱
125
:
Sekko
:2007/05/11(金) 19:47:34
福音派
フランスの郊外でも福音派は進出していて、やはり若者に人気です。カトリックは文化の背景になってて地味だし、親がすでに教会離れしている、周りのマグレブ移民はモスクに通っている、ということで、共同体への渇望が福音派に向かわせるようです。温度が高いところにいくんですね。このサイトのカトリック・ウオッチングのところにも書きましたが、今日はB16がブラジルで初のブラジル人の聖人を聖別する日です。ブラジルは一昔前はほぼ全員カトリックの国だったんですが、パフォーマンスのすごい福音派に何千万という人が転向したことで知られます。それに対抗して、カトリックでもロック・ミサとかやって、民衆のカト離れを防ごうとしている有名な神父がいます。確か今日はその神父とB16が共同司式を行うミサがあるような・・ラテン語ミサOKのB16とロック・ミサの神父〈若くて、身長2メートルで、大迫力の人です〉の組み合わせ・・・とにかく布教戦略上、福音派はカトリック批判してますから、なかよく共存という関係ではないですね。信者にとっては、派手な方、より燃えることのできる方へ引き寄せられるんで、特にトランスがカタルシスになるようです。アメリカのドキュメンタリー映画、『ジーザス・キャンプ』って知ってますか? 福音派と聖霊降臨派が共同で、子供たちのキャンプを組織して、イスラムには神のために命を捧げる若者がいるんだからキリスト教でも可能だみたいに、原理主義的なことを教えて、最後はやはり子供たちがトランス状態になってブッシュの等身大写真に群がって「God bless you!!!!』とか言って泣き叫んだりするんですよ。平均的日本人や平均的フランス人が見たらどん引きの光景なんですが、カトウオッチングでも書いたように、今日聖別されるカトリックの聖人でも、祈りを書いた紙を丸めて毎日飲んでたら奇跡が起こるとかそういう話なんですから、郷に入れば郷に従えというか、問題は、何の宗派だとかいうことでなく、ある場所、ある時代で、ある人々が求めているものは何で、宗教はそれにどう応えることができるのかということですよね。
カトリックは過ちも含めていろんな歴史を通過してきたので、清濁や、知と情や、合理と神秘や、伝統とインカルチャレーションやなんかを併せ呑む柔軟性というか懐の深さというかがあるように思いますが、単にエントロピーが増大してカオスに向かっているのかもしれませんね。
独身の聖職者に家族問題でごちゃごちゃ言われたくないという声はフランスの田舎のおばさんとかよく言ってるのを聞いたことがあります。でも、人間、自分の経験したことしか語れないというのであれば、文学だって成立しませんからね。カトリックは、イメージとしては、聖職者や修道者を神に捧げることで、一般信者は比較的楽に生きられたという歴史があります。人が堕落すればするほど、必ず、清らかに生きるグループが出てくる自浄力はおもしろいです。そして、フランスのような国では、一昔前と違って、聖職は直接は権力にも結びつかないし、世俗的な意味ではいいことはあまりないですから、それでも敢えて聖職につく若い人は、ほんとうに人間が好きで、使命感と召命を感じ、無私でエネルギッシュなすてきな人も少なくありません。昼間、自分をすべて人々のために捧げるので、夜は疲れはてて、ようやく神と二人きりになれると言う若い司祭の言葉を聞いたこともあります。
すごーく変なことかもしれませんが、弱肉強食の競争社会ではとても生きたくない、生きられないと思いながら出口の見つからないタイプの引きこもりとかニートとか若年ホームレスの人の中には、聖職者や修道士という形で自分の人生を他者に向けていく選択肢があれば命の輝きを取り戻せる人もいるんじゃないかと想像します。つまり、聖職者とかのアイデンティティなしに、孤独とか、性的飢餓の状態にある人は社会的弱者や障害者もふくめてたくさんいるとはずで、それは聖職者の孤独なんかよりもっとずっと辛いと思うんです。使命感とともに独身を受け入れた聖職者は別に気の毒とは思いません。妻子など、守るべきものがないからこそ自分をかけることもできるでしょうし、そういう「犠牲」によって、尊敬を得たり、説得力を持ったりすることもあるでしょうから。別に禁欲してるから偉いとかは私は思いませんが、少なくとも、私は、新興宗教の教祖なんかで、奥さんがいて、子供もたくさんいて、美食してるような人は、即うさん臭いと思ってしまいます。
修道士や司祭で結婚して教会から離れたり出された人も知っていますが、それは離婚と同じで、事故もあれば運命もあると思うので罪とは思いませんし、家族を持ち一回り大きくなって、また共同体に尽くせるとか両立できる人もいます。ケースバイケースですね。奇跡を起こすカリスマだったミリンゴ司教という人がいますが、統一教会で韓国人女性と結婚しちゃったり、その後ヴァチカンに軟禁されたり、いろいろ大騒ぎでしたが、4人の妻帯司祭を叙階するまでは破門宣告は受けなかったです。カトリックも、独身誓願は選択肢の一つというように変わっていくかもしれません。他の方の考えもきかせてください。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板