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フランス語フランス文化質問箱

1Sekko:2006/04/19(水) 18:13:31
話し方
 学校関係のだいたいすべての試験にはORALがあります。数学や物理でも、問題をもらって、黒板の前で解説するという形の。国語(フランス語)も、口頭試問の日に籤で問題を選んで、別室で30分準備してから試験官たちの前で発表し、その後質疑応答ですね。バカロレアなどではテキトは20冊くらいの古典系のリストが分かっていて、それをリセですでに準備してるわけです。だから古典や名作文学はリセアンに最も多く読まれます。その発表の仕方は、まず、結論を言い、次にそれを説明し、最後にもう一度結論に導くというのが基本です。センテンスは一般に、短ければ短いほどエレガントだとされます。私は大学時代フランス語の先生の授業で、サルトルの戯曲のについてフランス語のレポートを書かされましたが、日本語でなかなかいいことを考えてからフランス語に訳して出しましたら、あらゆるところに疑問符がついて返ってきました。それからは関係詞などを一掃して、短いセンテンスだけで書くようにしたら分かってもらえました。でも今から思うと、思考の流れそのものが違ってたのだなあと思います。今日本の学生の仏語レポートを見てあげたりすると、その学生の日本語の頭の中が手に取るように分かるんですが、フランス語としては通じないということもはっきり分かるんです。でも、それは「何となく」分かるんではなく、はっきり言語化できるので、テクニックを伝授できます。これってフランスバロック音楽みたいです。内的ロジックがしっかりしてるので、偶然はないんですよ。これを知らない、ロマン派に毒されたような先生に当たると、「そこは、もっとクレシェンド、なぜって?そう感じるからさ」「作曲者の気持ちになって・・・所詮日本人には無理かも」ということになったりします。本当はフランス語やフランス音楽は、内的ロジックを言語化できるという点で、とてもユニヴァーサルで(だからと言って万人に分かりやすくハードルが低いという意味ではないですが)、教えやすいですよ。日本語の方が当然難しいですね。言語化されてない共有の認識、それが実は風化してるとか、日本人同士でも通じなくなってると感じさせられることはこのごろとみに多いですから。
 後は学校で、幼稚園から、韻文系やラ・フォンテーヌの寓話とかの暗誦がとにかく多いです。音とイントネーションでまるごと覚えさせます。それをクラスで暗誦させられます。グランゼコールのカリキュラムにヴィデオを使った面接の自己アピールの練習もありますね。
 もちろん政治学院なんかはもっとすごいですけど。サルコジにヴィルパン、あれだけ正反対なのに、二人ともフランス語うますぎで、聞きほれたりします。

2古川利明:2006/04/19(水) 20:42:43
apprivoiserの訳
 最近、サンテクジュペリの「星の王子さま」の翻訳独占権(?)が切れたということで、雨後の筍のごとく、いろんな翻訳が出てます。んで、4月開講のNHKのラジオフランス語講座の応用編でも、これをテキストにしているのですが、そこで大いなるギモンがあります。というのは、王子さまがキツネと出会う場面で、キツネと親しくなりたい王子さまにキツネは「Je ne suis pas apprivoise」と答えます。で、この「apprivoiser」の訳が、例の岩波版の内藤訳以下、そのラジオ講座のテキストに至るまで、「仲良くなる」という、実に生ぬるい訳語をあてているのです。この「apprivoiser」の元々の意味は「飼い馴らす」ということですよね。野生の動物を「家畜化する」ということだと思うのですが、そこから、キツネは「野生の獣を飼いならそうとする人間と僕とは、そう簡単に友達になれないんだよ」ということを言っていると思うのですが、そんな「仲良くなる」といった、生ぬるいというより、敢えて「誤訳」といっていいと思うのですが、そういう訳語が次々と踏襲されているというのは、いったい「なぜ?」と、私などは思います。こうやって、「規制緩和」されたのですから、そこらのところはそれぞれの訳者が「正確に」訳すべきだと思うのですが。

3Fusako:2006/04/19(水) 22:40:39
言葉
approvoiser、って見たらすぐに浮かんできたのが L'amour est un oiseau rebelle que nul ne peut apprivoiser でした。これをマリア・カラスが歌っているニュアンス、そうですね、「飼い馴らせない」ですね。

「言葉の教育」、やはりね。今、日本では、英語については、話せなければならない、小学校から導入してでも、という流れですが、日本語で「話す」訓練、「読む」訓練はないですね。国語の受験勉強、って判じ物と暗記物、で、古典のタイトルを暗記すると、本文は読んでもいないのにあたかも自分がそれを知っているかのような錯覚を持ちますね。

全然別の話なのですが、わたしは、海外に長く住む友人が何人かいます。その人たちとやりとりしていてほっとするのは、落ち着いた日本語、今の若い人たちの使う流行語の入らない文章でやりとりできること、なんですね。竹下さんの文章にもそういう感じを受けています。

4Sekko:2006/04/20(木) 03:53:25
星の王子さま
まず、フランス語が分かる人に、サイト3つ紹介。2つは、星の王子さまへの質疑です。
3つ目は狐の部分の読解問題です。試してください。

http://www.dialogus2.org/PRI/apprivoiser.html

http://www.dialogus2.org/PRI/sagesseetnaivete.html

http://www.richmond.edu/~jpaulsen/petitprince/chapitre21.html


 さて、ここから、古川さんへの答えです。
apprivoiser というのは、もともと動物の家畜化に使われてきました。
星の王子さまでのキツネの定義「絆を創ること(creer des liens)」があまりにも有名になったので、この作品によって、この言葉の tonalite が変わったとフランスでは言われています。でも星の王子さまでも、「自分のものにしたら特別になる」ようなことが書いてありますね。
 これは家畜化、所有化というより、rapport de seduction だと私は思います。というより、キツネの言葉をきいていると、仲良しというより、精神的依存を互いに作ることで互いに所有しあいたいというので、恋愛と同じですよね、でもこの seduction という言葉にもいい訳が思い浮かびません。どちらにしても異なる二つの存在が関わりあう時、惹かれあい、というより、相手を依存させたいという誘惑があり、はっきり言って、権力の誘惑にも似てますね。恋愛も親子もそういう共依存のリスクがあります。
 それはいいとして、ここからが大事なとこです。 apprivoiser は プリヴェ、プライヴェートと関係していて、要するに、外部のものをある家に取り込むってことです。つまり、ある家=家庭=共同体の基準に従わせるということです。それに対して、キツネは、絆を創る(クリエートですからゼロから新しく創るわけです)と言っています。これは連合です。つまり、共同体中心主義で外部のものを馴らすのでなく、個人を対等と認めて、依存やヒエラルキーやスタンダードの押しつけのない関係をつくらねばならないと言っているのです。キツネは確か、それには rite が必要だとも言っています。伝統じゃなく条約ですね。まさにコミュノタリスムからユニヴァーサリズムへ、です。
 別に私の「読みすぎ」ではないと思います。この本が共和国ガイドに引用されていることを私の新書でも書いたように、この本の中で求められている関係性は、優れてユニヴァーサリズムなのです。ユニヴァーサリズムはただの理想だとか御伽噺だとか批判されもしますが、それがポエティックな童話になったら世界中で愛されてるのを見ると、私は、ユニヴァーサリズムのまさにユニヴァーサルな訴求力を信じられますね。
 あまり質問の答えになっていないかもしれませんが、他の方もご意見があればどうぞ。

5古川利明:2006/04/21(金) 00:36:01
なるほど
 竹下さんらしい、含蓄のある回答をどうもありがとうございます。なんとなく自分の中で思い描いていたことが、説明されたような気がします。すごくすうーっと入ってきます。やはり、フランスに住んで、フランス語を駆使していないと、なかなか微妙なニュアンスは理解できないですね。ただ、ふと、思ったのですが、日本の場合、「本当は怖いグリム童話」ではないですけど(笑)、何か、子供向けの童話は、マイルドにするというか、苦かったり、痛みを伴う「真実」に敢えて触れさせないようにしようとする傾向があるような気がします。それと、私自身が超へそ曲がりなので(苦笑)、やはり、自分が訳すとなると、「前例踏襲」は嫌なので、「僕は飼いならされていないんだよ」と訳してしまうような気がします。私も権力を振りかざしてくる人間には、この上ない「大悪人」になりますけど、キツネのようにユニヴァーサリズムを求めてくる人間には、非常にピュアな愛情を注ぎますね。といっても、本気にしてもらえないでしょうけど(苦笑)

6古川利明:2006/04/21(金) 21:22:17
lienの訳語
 書いたついでですので、もう一つ、その星の王子さまに出てくる「creer des liens」ですが、これはこれまでの岩波版の内藤訳でも、「絆を創る」だったと記憶していますが、この「lien(s)」は、辞書を引くと、「鎖」という意味もありますよね。実はこれまで私はそのキツネと王子さまとの会話の中で出てくるこの「creer des liens」を「鎖で結びつける」というふうに、かなりネガティブな意味に解釈していたのです(もちろん、アイロニカルな意味もこめてですけど)。というのは、たまたま大学時代の原典購読の授業で、星の王子さまのうち、このキツネとの出会いの部分だけ、原文で読まされる機会があったからです。それもあって、「apprivoiser」という、日常生活ではたぶんあんまり使わない動詞を覚え、また、この「creer des liens」というステキな表現も、ずっと、頭にこびりついていたのです。そうこう考えていくと、翻訳という作業もなかなか難しいですが、そこに「解釈」という知的作業の醍醐味もあるような気がします。

7Sekko:2006/04/21(金) 21:49:07
絆を創る
ええと、内藤訳では、確か、「ぼくは飼いならされてないから」とか言うキツネに、その意味が分からないPetit prince が、「飼いならすってなあに」ときいたら、「仲良くなるってことさ」とキツネが答えたんですよ。それで「apprivoiser」の新しい意味が「creer des liens 」、つまり、異なる2者の関係を、優勢な方が劣勢な方を抱合して自分に従わせるという形から、新しい関係を creerする関係に

8Sekko:2006/04/21(金) 22:14:41
続き
さっきの続きです。途中で勝手に手を離れました。
それで、キツネは、従属関係を否定して、異なった2者が、ユニヴァーサルな価値観に基づいてあたらしい関係を創るべきだ、と主張したわけです。だから内藤訳の問題は、「絆を創る」を「仲良くなる」と訳したところなんですね。新訳では、「絆を創る」が優勢ではないでしょうか。まあ対等でないと仲良くなるのは無理なんで、内藤訳も意味は通るんですが、ここで大事なのは、creer の方なんですね。異なる歴史や文化を持つ二つの国や二人の人間が出会う時、どちらかのスタンダードを押し付けないで、平和を維持できるメタ空間を新たに創るというのが重要で、それがフランスでいうと非宗教的ライシテの空間だったりするわけです。そして、それまで、個々の人間の条件というのは Dieu の creation だったわけですね。だから、異なる2者の一方の押し付けは自分たちの創造者の押し付けでもあるわけです。そこを超越したメタ空間を、人間が「創る」というのは、神への挑戦、というか、自分の歴史や文化を相対化できる知恵をつけたということです。異なる神を奉じる人々が共存できる世界を、「神の創った自分たちの世界」とは別のレベルに公空間として人間がクリエイトするわけですね。それならただの無理やり条約に縛られた雑居世界かもしれませんが、キツネはそこから1歩踏み出して、そこに「惹き合う力」を持ち込んだわけです。それを「共依存」と見るか、共感世界と見るか、愛と呼ぶか、それはいろいろでしょうが、単にユニヴァーサリズムといっても、最小公倍数を共有することでの妥協でなく、求心的でダイナミックな統合する力を信じて想定しないとただの烏合だという意味なのかもしれません。

9古川利明:2006/04/22(土) 13:02:01
新しい意味の創造
 いやあ、竹下さんの回答を読んでいて、実にこの物語の深さに思いが至ります。「apprivoiser」という従属の関係を脱する行為を通じて、「lien」の意味が、「鎖」から「絆」へと昇華するのですね。サンテクジュペリがサハラの砂漠に不時着して、そうした孤独の中で「人間の絆」を求めていった彼の人生に思いが至ります。彼は最後、コルシカから飛び立って、そのまま消息を絶ってしまっているのですよね。彼はたぶん、そこで星の王子さまになってしまったのでしょうね。この物語を読むたび、帽子とそっくりなボア(=大蛇)の挿絵を描いて、いくつになっても「少年の心」を失わなかった「珠玉の精神」に改めて感動します。

10古川利明:2006/04/22(土) 14:53:20
補足
 その岩波版の内藤訳の「apprivoiser」は、私の勘違いでスミマセン、「飼いならす」でしたが、今、店頭に並んでいるNHKの語学講座のテキスト5月号は、「馴染みになる」という訳語を充てています。あと、立ち読みだったので忘れましたが、その最近出た訳本の一つは(確か文庫でした)、「仲良くなる」だったと記憶しています。もちろん、訳者の「自由解釈」があってしかるべきですし、それは言論表現の自由からも、最大限保障されなければならないのはいうまでもありませんが、でも、私は少し違和感を感じています(苦笑)

11Fusako:2006/04/23(日) 09:40:22
liens
というのは日常的に普通に使われる言葉ですよね。「リンク」もこれでしたね。creer des liensも、ごく日常的な表現ですか?
日本語と外国語でしばしば動詞の向きが違うことがありますね。特に、日本語として自然な表現を使うとそうなる、という。「仲良くなる」とか「縁ができる」というのは、働きかけでそうなった、というニュアンスで、creerの意味が出ませんね。

12Fusako:2006/04/23(日) 09:48:59
liens(続)
でも、言葉はこれまた面白いもので、「ご縁ができまして」「ご縁があったのですね」という表現は美しくて、わたしは好きです。ただ、こういうやわらかくて古風な表現は、もう今の日本ではあまり使われなくなっていると思いますけれど。
書きながらの自動連想。「縁」は広くやわらかく使うけれど、「縁を切る」は、日本語でも明白に主体的ですが、これは、日本の人間関係では親子・夫婦などに限定された厳しい表現になるように思います。友人だとせいぜい「仲違い」かな、と脱線しそうなので、これまでに。

13nao:2006/04/23(日) 10:56:01
apprivoiser
三野博司訳では「手なずける」とやくされています。その理由が(「星の王子さま」の
謎)論創社にでています。131-133Pです。書店でひろいよみしてください。竹下先生のお考えとぴつたりする、とおもいました。

14古川利明:2006/04/25(火) 00:47:30
難しいですね
 本棚を引っくり返していたら、ガリマール版の原本が出てきたので、読み直してみると、「apprivoiserってどういう意味なの?」と星の王子さまがキツネに尋ねた結果、キツネが「それはcreer des liensだ」と答えているんですね。これは私の解釈ですが、人間同士の関係が、権力的な共依存から対等な個人の自立した者同士のそれへと「昇華」していくことで、「apprivoiser」は、「飼いならす」から「仲良くなる」へ、「liens」も「鎖」から「絆」や「ご縁」へと変容していくのではないかという気がしています。んで、その「apprivoiser」という単語はこの第21章では何度も出てきて、確かに最初の方は「飼いならす」と訳した方がピタリと来るのですが、je crois q’elle (=une

15古川利明:2006/04/25(火) 00:54:46
続き
 途中で、間違って、送信を押してしまいましたので、前の続きですが、その、「je crois q’elle(=une fleur) m’a apprivose」のあたりから後の方は「飼いならす」ではなく、「仲良くなる」とか「馴染みになる」というような訳を与えた方がピタリと来るような気がします。しかし、このニュアンスを日本語の翻訳で伝えるというのは、なんかすごく難しいですね。確かに星の王子さまは文章自体はとても平易ですけど、そこに盛り込まれている内容は、奥深いですし、それを日本語で表現するとなると、なかなか難しいですね。

16Sekko:2006/04/25(火) 05:35:40
Apprivoiser最終解読!?
Naoさん、書店で拾い読みなんて言わないでください。この問題に興味ある人は、みなさんちゃんと、かって読みましょう。それで、私は、日本にいないので、拾い読みも出来ないんですが、その三野先生が、ネット上で星の王子さまの翻訳の好評をなさっているサイトがあって、今その21章をちらっと読んでみました。http://www.tbs.co.jp/lepetitprince/tr21_comment.html
です。古川さん、読んでみてください。
 私は、ちょっと違和感がありました。訳語とか文学性の問題は別として、apprivoiserの根本のイメージは、一番最初に古川さんが言っていた、「家畜化する」という屈辱的な意味が一番正しいです。
 つまり、文学研究とかじゃなくて、普通のフランス人の大人の目でここを読むと、まず、キツネは、古川さんの言ったように、「家畜化なんかされていないから」と、人間の仲間である王子様に敵対して忌避したのです。その非難を感じたからこそ王子様は、まず、誤ったのです。でも、何を非難されたのか分からず、家畜化とはさぞやおそろしいことだと思って、恐る恐るたずねてみた。何度もたずねられた後、キツネは、はじめて、王子さまには本当にその意味もわからず、またそれに相当する概念も持っていないのだ、と気づいたのです。そこで、キツネは、王子様に、本当のこと、つまり人間は動物と対等な関係を持つことはありえない、家畜化か狩の獲物かなのだということを、知らせたくなくなったのです。
 そこで、「忘れられてることだが・・・」とごまかしながら(これはひょっとして、いつか王子様が家畜化の本当の意味を誰かに知らされたときに、キツネにだまされたと思わないように、キツネの教えてくれたのは、忘れられた別の意味なのでと思ってもらえるための伏線であるわけです)、家畜化とは、特別な〈しかし対等な〉関係性を築くことなんだと言ったわけです。それを通して、本当はキツネも、獲物を追ったり人間に追われたりするだけの生活ではなく、誰かと対等に必要とし合う関係を求めていたので、「僕を家畜化してくれる?」って、可愛いことを言ったのですね(なかよくしてくれる?とかいうのが照れくさかったのですね。それに、最初に僕は家畜化されてないから遊べないと忌避した手前、そういうしかなかったのです)。
 それで、その説明を真に受けた王子様がまた、「花がぼくを家畜化して・・・」と可愛いことを言うわけです〈この言葉をはじめて使ってみたので、これでいいかなあ、とおそるおそる)。きゃー、ふたりとも可愛い。
 それを受けて、フランスでは、この本によって、apprivoiser は新しい意味を獲得した、というわけですが、それもフランス式のエスプリなわけです。
 つまり、apprivoiser  と creer des liens はニュアンスが違えば違うほど、この場のかわいらしさが生きてくるわけですよ。 だから、creer des liens を 鎖で結びつけるみたいな家畜化のヴァリエーションで訳するのは間違いで、もう一方、apprivoiser を 「なつかせる」みたいに、ちょっと甘い情緒的な言葉で訳すのもNGです。
 と、細かい読解になりましたけれど、なお、私が最初にお答えした内容は変わりません。同種でないものを家畜化するか、殺すか、という人間同士の搾取や戦争、ランク付けや排外主義を批判し、対等な絆を創らなくてはならない、しかもそれが形式的なものでなく、互恵互助的で人間的に惹き合うものでなくてはならないといっているわけです。

17古川利明:2006/04/25(火) 21:31:49
すごく面白いですね
 そのリンクされた星の王子さまの翻訳特集、ものすごく面白いですね。それぞれが自分のコトバで格闘しているというか、楽しんでいるのがわかって面白いです。やっぱり、ポイントはその「一輪の花」がどうして、「私」を「apprivoiserしたか」のあたりなのかなあ、という気がします。直訳すると、「花が僕を飼いならした」ということですけど、ここでキレイな一輪の花が登場することで、屈辱的なニュアンスから、ポジティブな意味へと変容していっているような気がするのですよ。「花」にはそういう力があります。しかし、このニュアンスを日本語に翻訳するというのは至難の技ですよね。こういうのを見ていくと、テキストを原文で読み込むことの大事さを感じます。

18Sekko:2006/04/25(火) 23:55:10
訂正
今読み返しましたら、下の文で、「その非難を感じたからこそ王子様は、まず、誤ったのです」というところ、「誤った」は誤変換で「謝った」が正しいです。すみません。このせいで、この文を読み「誤った」方がいらっしゃったら「謝り」ますね。
 王子様がキツネの言葉を真に受けて、「お花が僕を家畜化したと思うんだ。」とかわいらしく応用したのを聞いて、キツネも「きみが僕を家畜化してくれたら・・」とか言わざるを得なくなり、終わりの方で、飛行士もキツネのことを思い出して、「家畜化されたら、泣きたくなる」みたいに「キツネ語」を使っちゃいます。「家畜化」の概念自体がなくなった世界を王子様もキツネも飛行士も共有したわけですね。私の言っている意味がうまく伝わったか知りたいので、皆さんの感想お知らせください。

19古川利明:2006/04/26(水) 00:27:06
エスプリの力
 それともう一つは,竹下さんが指摘していた「エスプリ」ですよ。これは英語のユーモアとも違いますね。非常にフランス的だと思います。文章を読み進めていくうちに(王子さまとキツネの会話が進んでいくうちに)、だんだんと「apprivoiser」も、「lien」も意味の内容が移り変わっていくんですよね。ただ、そこにエスプリが込められると、「家畜化する」でも「鎖」でも、字面とは別に、そこに逆にアイロニカルな意味を付け加えるというのか、敢えて逆手に取るというのか、コトバのいいなりとは逆の意味をそこに込めて使うことができるんですよね。その意味では「コトバの遊び」というところで捕らえることもできて、なかなか面白いというか、奥が深いですね。

20Sekko:2006/04/27(木) 04:01:09
また
?? 「いまではすつかり忘れられていることだけどね」と前置きをして説明するように、キツネは新しいモラルの伝道者ではない。今日ではわすれられてしまつた古いモラルの守護者なのだ。しかし、彼がこの知恵をどこから、どのようにして継承してきたのかはわからない。また、彼がこれまでだれかと「手なずける」関係をむすんだことがあるのかどうかもわからない。ただ、彼は「手なずける」の意味をよくしつていて、具体的な行動の指導によつて、それを王子さまに教える。ともかく、彼は秘儀伝授者として、姿をあらわすのである。

21Sekko:2006/04/27(木) 04:39:27
しつこくapprivoiser
三野先生の『星の王子さまの謎』の一部を教えていただきました。

?? 「いまではすつかり忘れられていることだけどね」と前置きをして説明するように、キツネは新しいモラルの伝道者ではない。今日ではわすれられてしまつた古いモラルの守護者なのだ。しかし、彼がこの知恵をどこから、どのようにして継承してきたのかはわからない。また、彼がこれまでだれかと「手なずける」関係をむすんだことがあるのかどうかもわからない。ただ、彼は「手なずける」の意味をよくしつていて、具体的な行動の指導によつて、それを王子さまに教える。ともかく、彼は秘儀伝授者として、姿をあらわすのである。

 そうか、こういうイニシアティックな読み方もされているのですね。何かパウロ・コエーリョのニューエイジ小説みたいです。そういえば、フリーメイスンの知人がフランスのグラントリアンのロッジでは、サンテグジュべリはメイスンのイニシエではなかったけれど、著作からメイスンだと認められて名誉メイスンに認定されているのだと昔言ってたことを思い出しました。
 それで、昔子供だったフランス人たちにこのapprivoiserの話をふってみましたが、普通の人はそう穿った感じでは読んでないようです。キツネが最初に言ったのはapprivoiserのネガティヴな意味が入っていて、それから creer des liens へとシフトして行った、それで、それ以降に言及されるapprivoiserの含意が変わったというのはみんな合意なんですけど、フランス語の字面は変わらないわけで、翻訳で最初のネガティヴな感じで、訳しちゃうと、後に無理がくるわけですね。私はキツネをそんなに秘儀伝授の師のように見られなくて、可愛くて孤独でちょっとかわいそうなイメージから離れられないので(それは私だけじゃないようです)、Aapprivoiser と creer des liens を対照的に訳した方がほろりとくると思うんですが・・・Creer が重要だという意見は変わりません。フランス人たちはむしろ respect の含意が重要というんですが、私は affection の方が胸につまるんです。そして、この本では、花が王子様を、王子様が飛行士をと、相対的に弱い方が強い方をapprivoiserするところが可愛いですよね。ついでにうちの夫に私たちの関係を聞いたら、完全に私が彼をdresserしているということでした。
 しかし、ある言葉を翻訳するということは、含意の幅を温存せずに、意味を限ってしまうのですから、改めて難しいですね。soeur と出てきたら、フランス語的には何の問題もないのに、日本語だとどうしても姉か妹かを決めなくてはならない、それがフランス語だと、初めは漠然とで、やがて文脈で関係がわかってくるという仕掛けになっていたら、その言葉が最初に出たときにもう答えを出したらおかしいですよね。 ニュアンスが変わっていくapprivoiserは、同じ字面だからこそ面白いので、そのへんほんとにむつかしいです。そういえば私がイエスは洗礼者ヨハネの「いとこ〈従弟)」だと書くたびに「はとこ(再従弟)」と校閲さんに訂正されます。中には、マリアとエリザベツが従姉妹だからと系図をつけてくれる人も。フランス語では cousin germain がいとこで、後はみんなcousinでまとめちゃうので、その癖が抜けないのです。


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