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鷹目遊里史板

829夕凪:2018/07/18(水) 23:32:46
【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ?
大正楼 京口新地 篠山 etc. をキーワードにしてネット検索すると
必ず角店でその四角い角を切り取ったあの建物の画像が出てきます。

でも、どうして画像のあの店が“ 大正樓 ”であると特定したのか、
その理由を述べた書込みを見た事はありません。
自明のように“ 大正樓 ”として扱われています。
googleマップでも、あの建物の場所を“ 大正樓跡 ”としています。

私の知る限り“ 大正樓 ”の建物を推定しようとする試みは
木村聡さんが『 実話ナックルズ 』(2010年7月号)に書かれた
「幻ではなかった 阿部定がいた遊郭」と言う記事のみです。
(または木村聡さんの記事を拠り所とした書込みばかりです。)

その木村さんの記事も、「(木村さんの訪問時に残存した)
この3軒のうちどれかがそうだとしたら、答えを出すのは簡単だ。」
と、慎重に前提を置いて書かれておられ、

丸山友岐子さんと言う作家が自著執筆の為に
タクシーの運転手に京口新地へ案内してもらい、
元「大正楼」の御主人にインタビューをされ、
著書の中で、大正楼の造りについて

 四角い家の一角を切って多角形にし、
 どの道から来る客もキャッチしようという娼家の知恵。
 飛田だけでなく、松島も、篠山も
 角店は殆んど例外なく、四角の角を切って玄関にしていた。

と、簡単に描写されているのを、その根拠とされています。
※丸山友岐子著『 はじめての愛−阿部定さんの真実を追って・・・ 』
(かのう書房、1987年2月25日発行)

でも『 はじめての愛 』の中には
「百年を経た床板はみがき込まれて黒光りしていた。」とか
明らかに誤った記述(誇張or省略?)も見られます。
∵同書発行(1987年)時、京口新地(申請時は池上村貸座敷)は
明治41年(1908年)開業から79年しか経っていません。

はたして、真実の “ 大正樓 ” は 何処に !?

 (以下、続く)


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