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鷹目遊里史板

796彷徨人:2013/06/09(日) 20:35:04
田丸と二見浦
 膳所裏さんの報告(2011年)を頼りに,まず気になっていた田丸に行ってきました。山一
と思われる建物と銀花(後で述べる地図には,「遊廓錦花」となっていました。)は健在でした。とてもかつて賑わっていたであろうという面影は全くなかったです。銀花は大きな建物ですが,西の端に蔵があったのがすこし不思議でした。
 私も図書館へ行ってきましたが,膳所裏さんがご覧になったであろうという全四巻の町史
はなく,新しく上下巻となっていました。そこには,膳所裏さんが言われるよりももう少し詳しく書かれていました。昭和初期の勝田町の賑わっている写真も掲載されていました。「夜の街は青年の心を揺さぶり,廓通いや入り浸りする若者,恋のもつれに傷害を起こす場
にもなって,近隣町村からは風紀の上から警戒された。……」などと現在としては結構具体的に書かれていました。そして,最後には当時(大正末から昭和初期)の勝田町の町並みの地図まで載っていました。
 さて,二見浦ですが,実は2年前,当時(戦後)の住所を頼りに一度歩いてみたのですが,収穫なしでしたので,今回改めて行ってみました。今回は,JR参宮線の二見浦から入りました。旅館街を歩いて,あるおみやげ屋さんのおばあさんに聞くと,海花楼も松前家も
あったということは確認できました。しかし,場所となるとはっきりしません。裏道でおじさんをつかまえて聞くも,場所については分かりません。あきらめなくちゃいけないかなと思いましたが,もう1軒旅館街のほぼ真ん中辺りのお土産やさんに入って聞きました。そして,やっと分かりました。
 松前家はなんとそのお土産やさんの真ん前だったのです。現在は駐車場になっていました。さらに,その向こうの砂利がひかれてあるところにヌードスタジオがあり,さらに,あの真珠家さんが海花楼,そして,もう1軒ちどりという家もあった………などといろいろ教えていただきました。話をしていただいたご主人は,3代目だそうです。「いい時代に店やってましたわ。店(赤線)の女の子たちは,うちへお菓子をよく買いにきてくれて,私もようかわいがってもらいました。」と話してくれました。
 話を聞くうちに,実は私自身小学6年生の修学旅行で泊まったのがこの二見浦の旅館街でしたので,当時の出来事が少しずつよみがえってきました。確かにヌードスタジオがあり,その辺りがお土産を買ってもいいという端になっていましたが,「ヌード」という文字に惹かれて私たち少年数人は境を越えてしまい,呼び込みのおじさんに叱られた覚えがあります。
 何はともあれ,田丸も二見浦もいろいろ分かってすっきりしました。そんな中で二見浦の土産やのおじさんの言葉が頭に残っています。「旅行は遊ぶために行く。景色みたり,見学したり,そんなもんはおまけ。遊ぶことが目的だ。お伊勢さん参りだって,あんなのは二の次。女の人と遊ぶために行って,おまけに参っただけ。」


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