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鷹目遊里史板
744
:
膳所裏
:2011/09/04(日) 15:06:34
その4 まわしアルアル待つのが大事
さて、この串茶屋でちょっとした事件が起きたのが宝永の始めといいますから1705年頃、串に郭の認可がおりてほぼ半世紀が過ぎたあたりで、場所は茶屋街の中央辺り、かのう屋とよしだ屋の間にあった間口三間、奥行き八間、石屋根、紅格子、中二階造りの“よごの屋”でした。
*この話が収録されていたのは遊女の墓保存会が編んだ串茶屋遊女を偲ぶ(6)で筆者には池田、小柴両氏の名前があります。
この時代まで串ではまわしを取ることはご法度で、もし事が発覚すれば死罪になってもおかしくない程の重大犯罪でした。もし仮に一人の遊女に二人の馴染み客がかち合えば、遊女はより馴染みの方を選ぶ事ができ、あぶれた方は楼主を通して他の店に泊まらせるようになっていました。
その際、他の店に行く客に“お引き花”と称する屋号染めの手拭を渡す風習があり、これにより客どうしの女を取った取られたの遺恨は残らないと考えられていました。
この実話(と思われる)物語の登場人物は、よごやの女主人で先代の一人娘のおふで、今庄の荒物屋の使い走りをしていた時代によごや先代の助次に見込まれて婿養子になった弥六、よごやには、すて(28才)、よね(36)、まん(19)、おこん(27)、みつ(42)のひさぎ女と言われた遊女がいて、この話の基になる日記を残した21才のりんは三番格付けで、前部屋三帖床の間付きの六帖間で15才の飯盛り女おさいと寝起きしていました。
そしてよごやの一番格女郎すての常客で藩が設けた十飛飛脚の、25,6才の松任在住の新七という日に焼けた金払いもいい色男の新一、金沢の鷹匠町の水内左近の下回りで、季節毎、大聖寺の支藩に丁銀を届けて帰る斉木三佐という四十がらみの士分格の男、そしてみつの客でその夜居合わせた、年の項なら六十齢のご隠居で、「この無粋新参!なにをほざく」とわれがねの叱声で間一髪修羅場を収めた加賀藩横山家の従士頭、上坂何某という白髪の老人。
このよごのやの出来事の後、串に「士分の登楼のときは刀槍のたぐい下足帳場おあづけのこと、放歌高吟慎みのこと」そして「きざみ花以后お構いなきこと」つまり廻しをとっても罪にならないというお定めが支藩からのお触れで出ました。
果たして串茶屋の運命を変えたその事件とは!・・・オフ会の時プリントでお渡ししますね。(´Д`)
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