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鷹目遊里史板
735
:
膳所裏
:2011/08/22(月) 14:41:36
まわし
遊女が泊まりの客に対して、複数の客を取ることを廻しといいますが、この風習は花魁と遊客との間に悲喜こもごもの物語を生み、江戸の吉原の性格に大きな影響を与え、落語の題材をも提供したのはご存知の通りです。
この廻しは関東以東の風習で、一般に東京式といわれ、廻しをとらない関西は大阪式と呼ばれました。それではこの東京式と大阪式の境界線が何処にあるのかを全国遊廓案内で調べてみました。
それによると昭和初期、関東58ヶ所の遊里で廻しをとらなかったのが平塚と大磯のみ、東北でとらなかったのが塩釜と一戸町北館の2箇所、北海道は全て廻しをとっていました。
中部地方を見ると豊橋を含め東方面は東京式で、お隣の岡崎以西が大阪式で廻しをとりませんでしたので境界はこの2都市の間に有ったようです。長野がすべて廻しをとってた一方、岐阜は全く廻しをとりませんでした。新潟は基本とらなかったのですが、新発田は馴染み客が登楼ればとり、中条は内緒でとっていたと有りましたので境界線上のグレーゾーンでした。
岡崎以西で唯一廻しをとっていたのが三重県なのですが、これは古市に遊客が多く、大阪式ではさばけなかったからなのでしょうか?いずれにしても愛知以外は基本県単位でとるか、とらぬかでしたので条例のような物があったのでしょうか?
そもそもなぜ関東は廻しをとり、関西は廻しをとらなかったのか?当然廻しをとれば楼主はうるおい、遊女の年季も早く明けれるのでしょうが、遊女側にも肉体的のみならず、精神的にも大変な苦痛を強いるわけですし、叉お客側も廻し制度は、多少料金は安いのですがあまりメリットが有る制度とも思えません。
この廻しについて情報あれば教えてください。
新今里Xさん>家のパソコンつながらないので明日までお待ちください。
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