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鷹目遊里史板

731膳所裏:2011/08/06(土) 18:31:59
(´Д`)
岡山県史で岡山市の遊廓史を補足させて頂くと、

明治12年  岡山区西中島町女紅場に金七拾四円を岡山区役所より下賜される。

同年    中島町娼妓の梅毒検査が月4回から8回になる。

明治17年  山陽新報の記事で客は芸者の芸を買わず、芸者も三味線を碌に弾けず、不器用な籐八拳を      一生涯の宝とする・・・などの記載あり。芸者は鯰猫と揶揄される。


明治33年  第六高等学校が岡山に設立されることになり、中島の移転問題もちあがれど実現せず。

明治40年  陸軍第17師団が岡山に設置され、中島遊廓も繁盛。

大正5年   岡山券番内で娼妓のみならず、芸妓にも検黴が行なわれるという噂が立つと、真っ先に??????????  婆さん株がこれに反対、中古芸者や豆芸者まで「そんな阿保らしいことがおまへうか」      「人権蹂躙だわ」「姐さんどうしましょう」「ほんとうに情け無いわ」と雷同する。

同年    岡山券番南券が芸妓検黴反対の檄文を中券、神林券にもとばす。


同年    中島の移転問題が再発、中島は旭川の水路の要枢なので運送業や倉庫業に譲るべきという
      のが趣旨

大正6年  芸妓検黴問題で芸妓叉々騒ぐ。

大正15年  娼妓外出許可に対し、これに反対した楼主側が陳述すれど警察側は自由外出許可の方針を固める。

昭和9年  室戸台風の被害で旭川大改修時にまたも中島遊廓の移転検討されるが移転せず。


以上二日前届いた“おかやま街歩きノオト、第6号”も参照・・・あ、ばれた、まさか本当に最後の一冊と

は・・・ごめんなさ(´Д`)うわ〜なぐらんでくれ、なぐらんでくれ〜 (´Д`)


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