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鷹目遊里史板
687
:
膳所裏
:2011/04/06(水) 20:00:06
はらたいらに1000点
>新今里Xさん
まさに常夜燈の辺りが遊廓だったのですが、常夜燈には何も刻まれてはいませんでした。
玉垣には寄贈した青楼や芸妓の名が彫られていることが有るので私も注意して見る方なのですが、何も無かったと思います。
ただ、最上稲荷神社の記念碑に
“この地は元禄五年岡山藩主池田綱政が時の郡代津田永忠に命じて干拓した沖新田の一部であり地名は干拓工事の番号を以って当初沖新田九番と呼ばれ今日の九蟠に至っている
九蟠港は吉井川河口という地の利を得て岡山藩の商港として江戸や大坂方面との往来も盛んに行なわれ繁栄を極めた”
とあり、この地が港型と開発造成型を併せ持った複合型遊廓であったことが窺い知れます。
ところで、日本遊里史の遊廓一覧に九蟠も載っているのですが、貸座敷二軒に対し娼妓数も二人になっています。
これは何を物語っているのでしょうか?
ここで三択です。
? 一つの貸座敷に一人ずつ鬼の様に客をとる伝説の二人の娼妓がいた。
? 鑑札を持つ娼妓は二人だが、何人もの芸妓がいて娼妓の仕事の分野にも入り込んでいた
? 昭和の始めには、大井川を高瀬舟で物資を輸送する時代は過ぎ、賑わいは失われ、遊廓渡世は風前の灯であった。
う〜ん ?を選んだ竹下景子に1000点!
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