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鷹目遊里史板

506夕凪:2009/10/24(土) 13:26:19
滝井特飲街の誕生 (0)
●滝井共栄新地(再掲)

参勤交代制度のあった江戸時代の頃、京街道の要所で、
船着場としても有名な宿場であったが、
ここでも例外なく男の集るところに飯盛女がいた。
しかし時代の進展に伴い宿場の衰微と共に消滅した。

大正5年頃第一次欧州戦争の好景気を背に再度台頭し、
昭和27年末頃より急に発展を来し、当時許可を得ることが至難のため、
取りあえず建物のみを急造し然る後風俗営業の許可申請をすると言う
手段を講じたのである。

業者は大阪の松島、飛田新地にならない、
セット制に切替え営業を続けているが、
その移行状況は次のとおりである。

料理店は何れも旧飛田、松島新地の業態を模倣したセット方式が多く
1セット600円乃至700円程度のものが多い。
各店とも1,2人から7,8人位の女給を抱えており、
全体で30数人程度が現に稼動している。

女給に対しては各店の実情によって異なるが、
大体100円乃至300円の固定給1セット売上げに対して
100円乃至200円程度の歩合給を加えている。
女給の年令は、25,6才位が一番多く一部を除いて殆ど住込みである。
元の青線当時ここで働いていた女子も現に1、2名稼動している。

売春もひそかに行われているやの風評もあり、想像もされるが、
業者はあくまでも全然関知しない体裁をとっているので、
警察側においても検挙は困難のようである。


                 1961年の資料より


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