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鷹目遊里史板

146夕凪:2007/01/14(日) 23:43:32
橋本遊廓の許可区域
  橋本遊廓区域は漠然たるものにして明瞭ならざるも、
  東は西遊寺山裏を廻る小径より、
  津○電線?八幡工場北側の道路を西行して軌道を横断し
  小字○金川の南端を京阪国道(の淀川堤防)に出で
  北上して○之町を横断し軌道を越えて狩○神社参詣道より
  東の境界線(小径)に接続す(許可当時:1887年の地域図に拠る)

                1937年発行の資料より

○1887年頃の橋本では、都市部のように細かく地番が決められて
 いなかったのでしょうか?
 それとも川の氾濫があったりして、その度に、道が多少なりとも
 変ったりして、地番等を確定できなかったのでしょうか?
 また橋本地域貸座敷組合と言う名称も独特なのでしょうか?


●ここの花街も明治時代は足場が悪く振るわなかったが、
 大阪へ通じる京阪電車が廓の前を通り、八幡の駅を設けてから、
 男山の山頂に祀る石清水八幡宮の参詣客が、忽ちその恩恵を受け、
 この廓ばかりは昔の面影今何処と、
 逆なコースの繁昌を極め今日の盛況を得た。

 しかし京の郊外といっても2、30分で着く近いところだが、
 都の風は届かぬと見え、繁昌は八幡宮一辺倒に依存して、
 行事も催さなければ、宣伝の必要もなく、
 極めてのんびりと朝に京の客を送り、
 夕べに大阪の客を迎えている頼母しさである。

                         1956年の本より


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